頭脳警察

時々『オリーブの樹の下で』の「ライラのバラード」を聴いてしまう。印象に残る歌に対しては、こうやって付き合っていくのだと思う。この歌を話題にする事がタイムリーな状態になってしまっているのは気分の悪い話。



2001年から再々結成している頭脳警察。その事は知っていても、ライブに足を向けるでもなく、その事をよく考えているわけでもない。多分、今の頭脳警察が新しい音をリリースしていないせいで印象が薄くなってしまっているのだと思う。そのせいで、今年の6月に『時代はサーカスの象にのって』がリリースされているのを知ったのは2ヶ月ほど前。これはシングルだけど、それでもこれが出た事によって、やっと頭脳警察インパクトを強めてきた。

オレが初めて聴いた頭脳警察は『7』で、再始動時のアルバム。この後『歓喜の海』もリリース。でも、いつの間にか頭脳警察名義での活動は止まり、Pantaもオリジナル・アルバムをリリースしなくなっていた。だけど、頭脳警察の再々結成と時を同じくしてPantaとしても『波紋の上の球体』をリリース。キナ臭い今の状態がPantaを欲しているのか?とか、想像。



「時代はサーカスの象にのって」というタイトルを目にした時、それだけでこのシングルはOKだと思った。惹かれるタイトルと言うのがオレは好きで、泉谷しげるの「涙を獅子のたてがみに」や吉田拓郎の「たどり着いたらいつも雨降り」と並ぶ優れたタイトルだと思った。ら、これ、寺山修司の戯曲という事で、「え?」と思いながらも、まあいいかと。しかも頭脳警察よりも先に制服向上委員会とかいうアイドル・ユニットが歌っていたらしいけど、まあいい・・・。

それでも、Pantaが歌えば不思議とPantaの言葉になる。これは、これを頭脳警察の歌として歌うと決めた時点で、選んだものが選んだ人のものに変わったという事。勿論、寺山のものなのだけど、その言葉がPantaに似合うのだから、「戦争と戦争の間にオレ達は居る」とか、Pantaのセンスと変わらない。というか、多分元々Pantaの歌詞は寺山に大きく影響を受けているのだろう。

カップリングの「間際に放て」は、メランコリックな前曲とは違いヘヴィーな感触。言葉の棘の鋭さはこちらの方が強い。









頭脳警察 『時代はサーカスの象にのって』