つい最近、かつての『ノイズ』の様な音楽誌が必要だと思ってたりしていた。『ノイズ』が出ていた頃は、まだ自分には難しい内容だったので毎号手に取るって事はできなかったのだけど、その敷居の高さを思い出してたりした。そんななので、昨夜ログを書いてじゃずじゃ氏のつぶやきを見て今回の事を知って、大きなショックを感じた。違う。そんな状態じゃなくても、ショックの大きさは変わらないかも知れない。そのショックをより大きくしたのは、自ら死を選んだと思われる状態。それでオレは、追悼する気持ちになれない。自殺する選択肢はあるのかも知れない。けど、まだ、それを肯定するような考え方がオレには無い。音楽の事は勿論、「とうようズ・トーク」での音楽以外へのあの姿勢にも影響を受けたし、そういう大人が居ることをどこかで勝手に支えにしていたと思う。だから、今、既にそれは事実なのだから受け入れるとか受け入れないとかそんな事ではないけれど、自殺が生きる事の選択肢の一つだと思えない今は、哀悼の意を表するとは言えない。なのでここからその事を考え続けることになる。それも一つのやり方だと思えるようになった時、追悼できると思う。でもそれは、自分が自殺すると決めた時なんじゃないだろうか?