阿部薫

PiLのライブの後だったか、レコファンのレジにおいてあるチラシでJah Wobbleの来日を知って、しかもKeith Levinと『Metal Box in Dub』というユニットかなんか知らんけど、その名前から『Metal Box』を想起するわけで、音の方から『Metal Box』の重要だった2人がやるライブに期待が膨らむのは当たり前だと思う。して、東京で3daysの予定から、考えて、やっぱ土曜がいきやすいよなあって思って、土曜を選択。すると、前座扱いでFrictionって知って、もうこれは、嬉しすぎる組合せで、ニヤニヤが止まらんかった。しかもPiLのリマスターの輸入盤がやっとリリースされてそれを買い揃えてPiLに浸って、Wobbleの作品も聴きなおして、まあ、結構というかかなり期待し倒してした。ら、まさかのLevinの入国拒否という憂き目。で、一応延期という言い方だけど、事実上の中止。それを知ったのが金曜の夜で、固まった。フリーズした。ガッカリ度は、ちょっと、ホント・・・。
落ち込み激しい中、今日の朝っぱらからチャイムがなり、クロネコさんが届けてくれたamazonの箱に阿部薫の『CD BOX 1970〜1973』と、騒恵美子さん著作の『ライブ・アット 騒』が入っていた。『CD BOX 1970〜1973』はPSFからリリースされている阿部の一連のCDに加えて、未発表だったCDが1枚、と言っても、21分程の演奏が収められているだけだけど、まあそれらが纏められていて、勿論既発モノは持っていたけど、未発表のものが欲しくて、買った。元々は店舗で買おうと思っていたのだけど、クラシックスでの八木さんのライブの後にタワレコに行ったら無くて、ピットインでの八木さんのライブの前にディスク・ユニオンに行ってみたけど無くて、もうめんどいのでamazonにオーダー。それが届いた。で、即MP3に変換して、今日の午後はそれを立て続けに再生。しながら『ライブ・アット 騒』を読む。騒というハコには行った事がない。けど、ジャズ系のどのハコよりも先に覚えたハコの名前が騒だった。勿論、阿部の騒でのライヴのCD化がその理由。阿部の晩年にあたる時期に活動の主場だったそこのオーナーだった騒さんの短い文章は『阿部薫覚書』や騒のCDのライナーなんかで目にしたけれど、その短い中で阿部に対する感情の強さを感じて、騒さんがもっと、阿部について書いたものが読みたいと思っていた。その願望が『ライブ・アット 騒』になっていて、『CD BOX 1970〜1973』をamazonにオーダーする時にこの本の存在を知ったのだけど、『CD BOX 1970〜1973』の未発表録音部と同じぐらい、この本を読める事に大きな期待をした。
『CD BOX 1970〜1973』を聴きながらなので、音に耳が惹かれると本を一端閉じる。して、また開く。この作業を続けている。『ライブ・アット 騒』には騒で演奏したミュージシャンの事や騒というハコでの出来事についての記述もあるけれど、阿部の事と阿部に対する気持ちの事と、そして鈴木いづみに対する事が、この本の書かれた理由だとハッキリしている。阿部と鈴木を騒さんが、恐らく意図したわけじゃないだろうけど、浮き彫りという状態にしている。そして騒恵美子という人の感覚が、晩年にあたる阿部の音に関わった事って、偶然とは違うんだろうなと、思う。
確か『CD BOX 1970〜1973』のPSFの音源は、騒での阿部の音を否定的に捉えた人がリリースしたものだと思うのだけど、確かにフリージャズという過激さでは、騒以前の録音の方が分があるけれど、騒での録音は、そこを抜けてきたものだと思う。騒での阿部の音の方が、見た目とは違う過激というか違う次元、そういうものを含んでいると思う。
騒恵美子さんは本の完成を見ることなく、逝去されたとの事で、もうこれ以上の阿部に対する文章が出てくる可能性は低くなってしまったけれど、阿部薫を聴くという行為は、そういう事に左右されずに続く。でも、騒さんの書くものがもっと読みたかったというのが、正直な気持ちでもある。
騒恵美子さんのご冥福をお祈りいたします。