長崎原爆の日

原爆イコール原発ではないけれど、放射能、或いは放射線がもたらす強烈な被害は、日本に住んでいれば311以前から当然の様に学んだはずだし、311以降、その事への危機感が高まるのは当たり前のはず。今日は66回目の『長崎原爆の日』で、個人的には広島のその日もそうだけど、長崎という土地でのその事の方が、より敏感になる。悪いこともしていも、ヤンキーではなくあくまでもサッカー小僧だった中学なガキの頃に、学校の宿題で本を読んで作文か絵を提出ってのがあった。どっちにするか考えて、なんとなく絵を書くことにした。で、本を読まなければイケナイ。学校の図書室に行く。が、赤川次郎の様な大衆小説ならともかく、学校の図書室にあるような本を読むことは苦痛だったので悩む。けど、なんとなく、手にした本を読むことにした。『原子雲の下に生きて』という本だった。長崎に原爆が投下されて、その被害にあった子供達の短い文章が集められた本だった。あまりにも真実だけの言葉が詰まったそれは、想像のできない苦しさが詰まっているように思った。それを絵として描くことは、今なら難しいというか、描けない。けど、ガキは、それが出来てしまう。頭に浮かんだものを絵にする。それをちゃんと宿題の期限内に提出。その翌日ぐらいか、宿題の提出状況の悪さに担任がホームルームで苦言を呈し、そして、提出されたものの良い例として絵を広げた。オレの出した絵、だった。が、反応の悪い教室。なんとなく変な感じに気付いてその絵を確認する担任。して、「あ、間違えた。これじゃない」って慌てて仕舞う・・・。教室内大笑い。「あの変な絵誰のだ?」って雰囲気。冷や汗しつつ、知らん顔なオレ・・・。しかも翌日のホームルームで、わざわざ元々見せたかった絵を持ってくる担任。あー、こうまでして嫌な気分味あわせたいか?って思う中二なガキのオレ。が、オレの描いた絵は、結局その1枚で3枚の賞状を貰った。それまで、個人で賞状なんてのを貰ったことはなかったけど、1枚の絵で3枚ゲット。なんか変な気分だったけど、それ以降、それまではそんな評判じゃなかったのに絵の上手いヤツとして認識される。笑ってたくせに、なんだこいつら?、って思った。けどその後、絵を描くというやり方を狙わなかった。美術の教師からは何度もそれを指南されたけれど、サッカーの方が1000倍好きだったので、そんな事に惑わされなかった。まあそのサッカーも高校なガキの時につぶされるのだけど、自分の選択だから、仕方ない。
長いな。まあいいだろ。と、思うので続ける。ここまでだと、単なるガキの頃の小さな手柄の文章化なのだけど、東京で長崎出身のヤツと知り合うことで、再び、原爆が投下された土地という事の現実と向かい合う事になった。フリーター状態のときに知り合ったそいつは長崎出身で、ある時、東京出身の同級生の家にお呼ばれしたとか。してそこで、同級生の母親が同席し、話をしたらしい。その中で長崎出身という事に反応したその母親が、「ご家族に被爆された方とかいるの?」と訊いてきたらしく、オレの知人は「両親は被害はあったみたいですけど、大きな事にはならず健在です。」と応えたらしい。そしてその訪問後、オレの知人はその同級生に「母がオマエは放射能持ってるから付き合うなって言われた」と言って、それきりになったという話を聞かされた。この話をしながらそいつはモノ凄く悔しそうな顔をしていて、それが今でも忘れられない。ガクの無いオレは、放射能放射線)が遺伝するかどうかなんてわからなかったけど、でも、体に影響を及ぼすものは幼い頃の方がより悪影響になることはわかっていたので、その時に普通にピンピンしていたそいつを見て、そいつがまるで放射能を撒き散らす怪獣の様に扱われるなんておかしいって思った。
って事で、長崎に原爆を落とされた日ってのは気になってしまう。そして風評被害ってのを考える。何かを、相手の存在を否定するぐらいに強烈な気持ちを持つのなら、それを中途半端な知識でやるのは稚拙すぎる。なにかを蔑むなら、自分の全部をもってして、それをやるぐらいの覚悟と責任が必要だと思う。小さな思想で固まって、ニヤニヤして仲間を探すのはくだらない。