Mute Beat

新世界でのこだま和文のライブ、あれ、2月だったか。結構経ってる。その時、多分初のMute BeatのDVD『Gladdy meets Mute Beat』が物販で先行発売されてて、でも、DVDって割引されて売られているのが当たり前な感覚なので定価のそれを買うのはしなかった。せいぜい1ヶ月ぐらいでリリースされるんだろうと思った。けど、なかなかリリースされず、忘れてたら7月上旬にリリースされていたらしく、慌ててamazonかます。届いて、見る。ライブを見ることが出来なかったMute Beat。それを映像で見る。見ながら思っていたのは、んー、残念ながら音楽としてどうのこうのじゃなくて観客の80年代っぷり。当時のオレから見たらカッコいいはずのお兄さんお姉さん達なのだけど、、、。そんなを思いながら見ていると、Gladstone "Gladdy" Andersonが呼び込まれる。エレピで、レゲのリズムをかます。あれってギターのイメージが強いけど、鍵盤も何気にそれなりにある。Gladdyを、オレは、実は全然知らん。けど、カッコいいなあ、と、思う。まあ、ピアノも結局弦が鳴っているのだしな、とか、思う。あーでも、この後、締められない。なんか、締めるような感想が無い。多分オレはこのDVDを2度と見ない。けど、GladdyのCDは聴いてみたくなっている。ピアノだけじゃなくて、あの歌も、なんかいいんだよな。
って思って思う。Mute Beatは、あの時代、日本では間違いなく際立ったレゲだったはずだけど、残された音にレゲの持つ軋轢が無い。思い入れが無ければ、Mute Beatを聴いてリゾート・ミュージックとして聴いてしまえる気がする。けど、Mute Beat以前に日本にレゲがあったのか?ってのがわからんのだけど、ググったりしなければ日本においては間違いなく先駆者のはずで、それだけでもこのバンドの理由はあるんだよなあ。って、なんかの言い訳を見つけようとしてグダグダしているのは、オレは結局ダブ・バンドと称されるこのバンドをダブとは全く思っていないからで、バンドであろうがなんだろうがダブと名乗るのなら少なくてもこの時点でのダブとしての歴然とした差を、この時期に同時期の録音なAugustus Pabloの『Message Music』を聴いて感じているから、で。でもやっぱ、日本における先駆者としてMute Beatの存在の大きさはあって・・・。あー、なんかめんどいな。グダグダしながら探ってみたけど、やっぱり締めるポイントが無いや。今、『Message Music』以外にもダブもので嵌っているものがあるので、改めて、ダブを絡めてログする。