TVドラマ

今のところ、自殺しようなんて考えは無いので、この前書いたように中村とうよう氏を追悼する気持ちは無いのだけど、まあああいう事があったせいで、氏の書いたものの事を思い出したりすることが多くなってしまったのだけど、実は一番「へえー!」って思ったのは「とうようズ・トーク」で氏がキムタク主演の『ギフト』というドラマを褒めていたことだったりする。細かいことは覚えてないけど、まあとにかくそういう内容の「とうようズ・トーク」が確実にあった。で、実はその時、オレは『ギフト』を見たことが無くて、その後、その当時付き合っていた相手とビデオかなんか借りて見たりしたのだけど、その『ギフト』が特別面白かったかどうかは判断付かないけれど、なんかさ、音楽がアートで、そういうものがしつこく好きだったりする人はTVドラマとかはなから相手にしてなくて、映画という枠でしかそういうものを認めない的なカッコつけが当たり前みたいな感じだったはずだけど、音楽は音楽として捉えた視点を持っていたとうよう氏がそういうコラムを書いてくれたおかげで、オレはアートぶりっ子なところから自由な気分になれた。映画ってのも別に嫌いじゃないし、それなりに見てきたけれど、でも、映画ってさ、1本2時間ぐらいで1つの物語を完結させるわけで、ここの中で表現できるものって、コアなとこを中心としたものにならざるを得ないというか。それはそれで簡潔でいいのだけど、ドロドロの表現を見せ付けるには、やっぱ、足りているとは思えない。
って、突然こんなことを言い出したのは、っていうか、「オレは映画好きで、TVドラマとか全く興味ないね」的なヤツが出てくるたびにこんなことは思ったりしていたのだけど、別にログにするまでのことでもないなあって程度ではあるけれど、今、『それでも、生きてゆく』を見ていて、この、暗くて出口なしの設定に、「こんなの映画では絶対無理じゃん」って思ったから。です。『それでも、生きてゆく』が、不器用な人を演じるのが得意な演者ばかり集めていて、そういうので狙いはわかってしまうけれど、めんどいので基本フジTVしか見ないオレには、やっと噂の満島ひかりを見る機会で、どんな演者?って思ったら、「不器用な人を演じるのが得意なヤツ」だった。まあ、もしかしたらそれ以外の持ち味もあるかも知らんけど、これでそれ以外も持っていたらとんでもない事になる。TVドラマだろうが映画だろうが、そこで描かれる不器用な市井の人々は、実はリアリティーは全く無い。こんな連中はいない。昔のトレンディードラマのキャラクターの方がリアリティーがあったりする。と、思うのだけど、『それでも、生きてゆく』も、まあまずこんなことはあり得ないというやり方だけど、どうしても考えこんでしまう事がいくつもその中にあって、これがこの後どういう展開になるのかとか、考えたりするようなものじゃないけれど、少なくても『それでも、生きてゆく』というタイトルに相応しい結果は見せて欲しい気がする。
とうよう氏の死と『それでも、生きてゆく』とが、ある意味つながってしまう事に自分で今夜のログのテーマを狙ったかのように見えてきてしまうけど、意識ではそんなつもりは全く無いのだけど、無意識にあるとしたら、どうしようもないだろ。まあ、こう書く時点で意識的ではあるか。しかもこれ、『ブラスは世界を結ぶ』を聴きながら書いている。『ブラスは世界を結ぶ』は、喜怒哀楽という言葉のまんまの音楽だと思う。なんでこの作品に大きくかかわった人が?、って思う。
して。今、とうよう氏の際につぶやきまくっていた石田昌隆のツイートを見て愕然。レイ・ハラカミの逝去。オレは、この曲でレイ・ハラカミの名前が重要になった。

なあ同い歳、オレはまだオマエのライブを見たこと無いぞ。ウソだろ?