Soul Flower Union / Soul Flower Mononoke Summit

5/3の酒井俊と内橋和久のライブで「満月の夕」を聴いた。このライブに行くと決めた時にこの歌が聴けると思った。「満月の夕」はオレの知っている曲の中で最も美しい曲の一つ。この歌の最初の持ち主がSoul Flower Unionソウル・フラワー・ユニオン)。この歌の背景を置いておいても、この歌は日本人であれば、何かを感じるはずだとオレは思っている。そしてVictor Jaraの「El Derecho de Vivir en Paz」(邦題「平和に生きる権利」)、これもSFUのカバーで知った曲で、『Electro Agyl-Bop』に収録されたこの2曲は重く響く。それを一昨日聴けた事は多分必然。

SFUをずっとフォローしているわけじゃない。『ワタツミ・ヤマツミ』から『Winds Fairground』までが、オレのフォローしていたSFU。『Winds Fairground』でオレがSFUの新作を聴かなくなった理由は自分でもよくわからなかったのだけど、変遷をみて気付いた。『Winds Fairground』には内海洋子が参加していない。オレが『ワタツミ・ヤマツミ』でSFUに魅力を感じたのは、中川敬の歌と内海さんの歌声だった。その片方が無くなった『Winds Fairground』でオレがSFUを聴かなくなったのは、ある意味当然だった。

だけど何を思ってか、SFUの『90's Singles』を手にした。タイトルのままの作品。同時期に『ライヴ辺野古』という映像作品がリリースされている事も知ったけれど、あまり映像作品を好まないオレとしては、それに手を出す事は躊躇していた。だけどその作品のテーマを知り、ネットでオーダー。それが届いたのが5/3の昼だった。すぐに『ライヴ辺野古』を見る。ライブの映像見てCDとして入っている「辺野古節」を聴き、ブックレットを全部読む。そして「満月の夕」が聴けるであろう、ライブを見つけた。



SFUはミクスチャー・バンドだと思う。ロックという言葉はつけてもつけなくてもどうでもいい。日本、アイヌ、朝鮮、アイルランド、沖縄等の音をミックスして、独自のサウンドを作り上げる。オルタナティヴ。カフェなんかじゃ全く相手にされない音。



ここまでが元々投稿するつもりだった内容の序章。昨夜ライブに行かなければこの後かなりウザい話が続くものをアップする予定だった。だけど今見直してみて、明らかに相手にされない内容が延々続いてるので内容を改定。それでも大分長いけれど、オリジナルはありえないぐらい長い。



『ライヴ辺野古』がどういう作品かは、SFUのサイトを見ればすぐにわかるので端折る。見たものの感想としては、音や映像に多少の難があっても、ここからは音楽する事の楽しさが伝わってくる。すでにSFUから脱退している内海さんがSoul Flower Mononoke Summit(ソウル・フラワー・モノノケ・サミット)とSFUの演奏に加わっているし、耳の障害のためSFUのライブ活動には参加していない伊丹英子もSFMSはもちろん、SFUにも加わっている。この演奏の場には重いテーマがあるけれど、眉間に皺をよせるのではなくて、「(あそこにいる)アーミーが除隊したくなるような音楽をやろう」と言った中川の言葉通りの音楽。明るく楽しく歌って踊ってメッセージを発する。「基地はいらない」、それだけのシンプルなメッセージ。









Soul Flower Union / Soul Flower Mononoke Summit 『ライヴ辺野古




この作品には44ページのブックレットが付いていて、そこには辺野古で基地建設阻止のための活動をしている平良夏芽の話が文章化されている。それを読んで、彼が本気で基地建設を阻止する覚悟である事がわかった。それは日本政府とアメリカ軍、そしてアメリカの政府と争うと宣言ともとれる。その中で、ある意味タブーだった基地問題の本質を語っている。基地問題とは、アメリカ兵が事件を起こす事が問題だと思っている人が殆どだろう。それはマスコミによる問題のすり替えで、本質的な問題はそこではない。それを沖縄の人間は知っていても、口に出す事はまず無い。それは沖縄は被害者ではなく、加害者の立場になっているという事。この話が今の教育の現場で語られるかどうか知らないけれど、オレと同年代の沖縄のヤツは、そういう場で教師という立場の人達から聞かされてきたはず。だけどその事を沖縄の外に向けてはまず発しない。それが何故か?は、言わなくてもわかると思う。

それを語ってしまった平良は退路を断ってしまったとも言える。そこまで考えての発言かどうかはわからないけれど、今の彼にはそんな事はどうでもいいのだろう。基地建設阻止運動ではなく基地建設阻止(活動)をする事を決め、その為に向かってくる車の前に身を投げ出す。子供が生まれたばかりの彼に周囲は「そこまでやるな」と言うけれど、「自分はの子供にこんな事をさせない為にやる」と語っている。



別にオレは、これを期に活動に加わるわけじゃない。残念ながらそういうタイプではない。でも、今更チベット問題とかで騒いでいる状況とか、少々農薬が紛れ込んでいたぐらいで必要以上に騒いだりはしゃいだりしているのを見ていて、そういう「なんだかなあ」な人達を見ていて、「自国の問題は山積なのに隣に口出ししている場合じゃないんじゃないんじゃないの?」と、嫌味が言いたい。