吉田アミ

今日も本がネタ。しつこい。でもこれで終わり。

吉田アミの音の事はブログに書いた事がある。ハウリング・ヴォイスと呼ばれるその声は、エレクトリック・ノイズのような音で、見た目のかわいらしさとは全く違った表現方法。

その吉田の文章は、ユリイカ大友良英特集号で目にした事がある。それについての短い評価を大友自身がブログに書いていたけれど、オレも大友と同じように感じた。その音楽性と同じく、自分をそのまま表現してしまう文章。そしてそれは、『サマースプリング』という吉田の本でも同じだった。『サマースプリング』は中学に入学してからその夏休みまでの短い期間を綴ったノンフィクション。家庭環境や学校環境から自殺願望を持つようになった一人の女子中学生の話。それは当然吉田の事。後書きで自身が述べているように、普通なら書かない方がいいと思えるような内容。美化するか、薄めるかして誤魔化す内容。だけどそれをさらけ出す。この本が終わったあと、そこから大友の音楽に出会って自分の表現方法を探すキッカケを掴むまでは数年ある。その間を埋めるストーリーの発表が用意されているのかどうかわからないけれど、この本をプロローグにする必要は無い。









吉田アミ 『サマースプリング』




amazonでこの本のレビューを投稿している人達はこの本から生き方についての何かを読み取ろうとしているようだけど、そんなものではないと思う(そして恐らくその人達は吉田の音を知らない)。これは単なる吉田の表現方法の一つ。アーティストという言葉は嫌いだけど、吉田は表現者という言葉が似合う。この本で彼女は何かを訴えたり、誰かに何かを教えたりしたいわけじゃ無いはず。自分を抉り取るような表現が彼女の表現方法であり、それが今回はこの本だったというだけの事。勿論、これをどう受け取るのかは各々の自由なのだけど、吉田の音を知っているかどうかで、受け取り方は変わってくるはず。

ちなみにこの本はECDの本と一緒に買った。これが置いてあるのは前から目にしていたし、かなり興味はあったのだけど、「文化系女子叢書」と書いてあって、ちょっと手にしにくかった。だからこの本の対象は「文化系女子」なのかも知れないけれど、その「文化系女子」の殆どは吉田の音を知らないはず。そして吉田の音を知っているものにとっては、その音の伏線がこの本に出てくるところ(息苦しい場面だけど)は少し得した気分になる。