中日ドラゴンズ

今回は完全に音楽ネタゼロです。すみません。タイトルからでもわかるように、中日ドラゴンズ日本シリーズを制して日本一という事について。



オレは今36歳で沖縄で生まれ、18歳までそこにいた。田舎だから野球中継はほぼ読売の試合。だから田舎モノは読売のファンになるのは当たり前なのだけど、オレは何故かそうはならなかった。野球少年だったわけではないので、あまり野球を見る事が好きじゃなかったという事もその理由の一つ。そしてもう一つの理由。幼稚園に行ってた頃に一応制服らしきものがあって、それが何故か黄色い帽子で、その帽子に読売のマークが付いていた。オレはそれが凄く気に入らなかった。自分のお気に入りの帽子があるのに、何故こんな帽子をかぶらなければいけないのか納得できず、その帽子が大嫌いだった。それがオレの読売嫌いに大きく関与している。そしてたまたまTVで見た中日の小松辰雄。とにかく速い球を投げる事だけを考えているこの男に惚れた。打たれるとか打たれないとか、そういう事じゃなくて誰よりも速い球を投げる事だけを考えているという、シンプルな発想の持ち主。その姿に本当に子供ながらカッコいいという事を思った。だからその男の所属チームの中日を応援するのは、オレにとっては当然の成り行き。

そして今日まで、時にはセ・リーグを制しながらも中日は日本一になる事は無かった。それでもその間現れては消えていく印象深い選手達を見ながら、オレは中日のファンであるという事を止めなかった。その中日がとうとう日本一になった。CSという、イマイチ納得の出来ないものを勝ち抜いてしまって、そして日本シリーズを制した。

でも今のオレに嬉しさは微塵も無い。もちろん今までも優勝して欲しかったし、そうなる事が最高の喜びになるとずっと思っていた。ところがまさかの九回表「ピッチャー岩瀬」。

オレは九回を山井が投げて、そしてもし負けたとしても、その結果流れが変わって中日が日本一になれなかったとしても、「残念だったけどまた来シーズンに期待」という気持ちを持てたはず。日本一になるチームだから好きなわけではない。地元のチームだから好きなわけではない。何故かアクの強い個性的なピッチャーが集まるチームである中日が好きで、応援してきた。その中日のピッチャーが日本シリーズ史上初の快挙を成し遂げようとしていた場面で、単なる「日本一」という呼称に拘った落合という監督はその史上初を捨てる決断をした。



野球に限らずプロ・スポーツというものは勝つ為だけにやるものではない。プロ・スポーツというのは、ハッキリ言ってエンターテイメントの一つでしかない。だからやはり、最優先させるのは見ているものを楽しませるという事だ。それを捨てた落合という監督は、日本のプロ野球というものをダメにしたと思う。



1982年、中日はセ・リーグを制した。その優勝を決めた試合の相手は大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)。その試合、両チームに首位打者を争っているバッターがいた。中日の田尾と大洋の長崎がそれで、優勝争いとは全く関係の無い大洋はせめて長崎に首位打者を取らせるため、田尾の全打席を敬遠するという暴挙を行った。その試合の田尾の最終打席、ボール・スリーから田尾はボール球を二球振るという無言の抗議を行った。その行為に慌てたコーチの助言により、田尾は次の球を振ることは無かった。田尾はその結果首位打者という記録は残せなかったけれど、記憶に残るプレイヤーになった。



今中日の監督をしている落合という人は、選手時代パ・リーグのチームに所属していた時に三度の三冠王になった。その後落合という人は中日に来た。その落合という人は1991年、首位打者争いをしていた古田のいるヤクルトとの試合で、全打席敬遠という事を経験した。その時落合という人は何を思ったのだろう?



オレは30年近く中日のファンだったけれど、九回表「ピッチャー岩瀬」を聞いた時からそれを封印する事に決めた。落合という人が中日の監督を辞するまでは、この決意は変わらない。




でもこれは言っておかないとな。

中日ドラゴンズ日本シリーズ優勝おめでとうございます。



まあ、とにかく勝つ事に意味を求める人もいるだろうし、オレと価値観は違うけれど、それもありなんだろうと思う。オレとは価値観は違うけれど、それはそれぞれ、だ。



というか、こういう事書いて後悔しないのかという不安はある。書いている時点でホントは未練があるのかもしれない。だけど、今の時点では本音で気持ちが切れたんだよなあ。九回表「ピッチャー岩瀬」で、「は?」となって、つまらないなあって。