John Russell

自分自身にとって好きな音というのはそれぞれだと思う。オレの場合、しつこくて申し訳ないけれど、やはりBaileyのギターがそれの一番手。そしてこれも何度も書いているけれど、Baileyの生音に触れる機会が無かったというのは、痛恨という言葉がそのまま使える。これは、ライブならではの音の楽しみを知ってしまった以上、死ぬまで変わる事はない。それほどまでに、Baileyの音を生で聴いてみたかった。

そのBaileyに最も似ているギターを弾く存在と言えば、頭に思い浮かぶのはJohn Russell。似ているが為に、イミテイター的な言われ方もあるだろうし、オレもRussellの録音物で手にしているのは、ソロ・ギター集の『From Next to Last』と、ヴァリアスなライブ録音の『Freedom of the City 2004 - Small Groups』に含まれている音だけだった。『From Next to Last』を聴けばやはりBaileyに似ていると思う。Baileyの作品とたて続けに聴けば、『From Next to Last』がBaileyの録音では無いと気付く事が出来ないと思う。そういう理由で、オレもRussellの音を積極的に聴いては来なかった。ところがそのRussellが来日しライブを行うという情報。二日ある東京でのライブで、昨夜のクレモニア・ホールでのライブに足を向けることにした。それは昨夜の共演者が田村夏樹と豊住芳三郎という事がその理由。

19:30開演という事で、19:10頃に荻窪の駅に着く。クレモニアは郷子ねーさんとMelfordのライブで一度行ったきりだけど、あまり悩みもせずに到着。まだ開演まで15分の余裕がある。外でタバコを吸ってから中に入ろうと、入り口のところまで来て、ふと先にタバコ吸っている人を見た。そしてすぐにそれがRussellである事がわかる。おお、と思いながらも何食わぬ不利でタバコを吹かす。オレより先にタバコを吸い終わったRussellは2階のホールにエレベーターで上がっていった。なんとなく緊張してしまっていたオレもタバコを吸い終え、時計を見ると10分前。だけどオレがここについて以降客は来ていないので、もう一本タバコを吸う事にした。そして5分前になり、クレモニアに入る。オレがついてから10分間客は1人も来なかったから、まあ、客入りの予想はついていた。入って当日の値段の¥3,000を支払う。席を見る。関係者及び出演者を除くと5〜6人程度。

オレの最大の目的はとにかくRussellの生音を聴く事。だから本当はソロ演奏が聴きたいと思っていた。そして多分それは叶うはずと思っていたら、やはりRussellのソロ演奏でライブは始まった。



あの音が目の前で奏でられるという事は、オレにとっては特別。Baileyの音を聴いている気分だった事は否定できない。だけどそれはオレにはマイナスどころか、プラスに作用する。あの音がオレの聴きたい音で、それが聴けるという事は大きな事。

Russellのソロでの演奏が終わり、田村と豊住のデュオ、Russellと豊住のデュオ、Russellと田村のデュオが演奏された。休憩を挟んで2ndはトリオでの演奏。田村は郷子ねーさんのグループで聴かせるオープンに吹ききる感じではなく、『Song for Jyaki』の様なアグレッシヴでフリーキーな音や、『Ko Ko Ko Ke』で聴かれるユーモアのある音など、多彩な音を披露。オレはトランペットという楽器を特に好んではいないけれど、田村の吹くトランペットはこの楽器の振り幅を提示していると思う。田村のこういう演奏を聴ける機会がもっと欲しい。豊住をライブで聴いた記憶は2年前のRaymond MacDonaldのセッションぐらいしかないのだけど、残念ながらその時の印象はオレの記憶に残っていなかった。だけどなんといっても日本のフリーの重鎮。阿部薫との共演歴を持つ男。その音に、その経歴から思い浮かぶ音を予想する。だけど違った。豊住はシリアスにフリーに叩くのではなく、ドラムセットを使って音を出す行為を楽しんでいる。ビートを刻むような演奏はほぼない。どうやって音を出すか、それによってどんな音が出てくるかを楽しんでいるようで、ここまで色々やる人はオレの記憶にはなく、結構なインパクトを与えてくれた。さらに2ndの終盤では二胡を取り出し、擦弦ならではの音まで使う。その音とRussellの音が絡む様はかなり魅力的だった。そういえば2ndの序盤、Russellのギターの3弦が切れるというハプニングがあったけれど、それを逆手にとって切れた弦で他の弦を擦ったり、弦を張り替えるときにわざと音を出してそれを演奏に加えたり、何が起きてもそれを音楽にしてしまうあたりに、インプロヴァイザーの凄さを見たと思う。

2ndのトリオでの演奏の後、Russellの短めのソロ演奏で昨夜のライブは終了。個人的には文句なしの一夜。この先も忘れる事の出来ない音。




それにしても客が少ない。最終的に10人もいなかったと思う。結局日本にはフリー・インプロヴィゼーションを聴くという文化は育っていない事がよくわかった。確かにJohn Russellの知名度は低いだろうけれど、Derek Baileyの音を本気で好きな人はRussellの事も知ってしまうはず。そのBaileyが逝去した後、オレのようにぜひともBaileyのライブを見てみたかったという人が結構いるという話をネットで見たのだけど、そういう輩は結局、Derek Baileyというフリー・インプロヴィゼーションという分野のビッグ・ネームというだけの理由でBaileyを聴いて、そういう理由でBaileyのライブが見てみたかったといっているのだろう。そうじゃなければ、Russellの音を聴かない理由がわからない。勿論、見てみたかったけれど都合がつかなかったという人もいるだろう。だけど、John Russellで客が10人に満たないというのは納得が難しい。関係者の人たちはそういう状況も予想して召還しているのかと思うと、本当に頭が下がる。