山口小夜子

ホントはまだミスチルから流れで投稿予定だったけど、昨夜の山口小夜子さんの逝去の報を受けて思った事があるので書いてみる。

TVのニュースで山口さんを見ていて、「Steely Danの『Aja』のジャケットの人だ」と思った人は多いと思う。オレも最初はそれが頭に浮かんだけれど、書きたいことはそれじゃない。Donald Fagenの『Morph the Cat』のところにも書いたように、オレにはSDの印象はよくない。じゃあなにか?というと、そのTVで山口さんを見ていて、「なんか最近見たような気がするな」と思い、考え、気になり、調べた。山口さんは『サノバラウド25』に出演していた。多数のミュージシャンが色んな音を聴かせる中、かなり奇妙な雰囲気を漂わせていた機織&ミシンのセットに彼女は加わっていた。しかもCDJを扱っていたようで、音を扱っていたのならばオレのブログの趣旨にも反しない。

とは言ってもその時の音の事はうろ覚えだし、あのセットは皆が奇妙な雰囲気を持っていたので山口さんだけを特定して思い出す事は出来ないけれど、無意識の中に刻まれているはずの記憶にある人の死に対しては哀悼の意を表したい。

59歳にしてモデルという経歴を最後まで持っていたところにも感銘を受ける。貫く事の凄さはBaileyで思い知っているし。

モデルとして衣装を着ることを表現する事、音の場に立ち自らたち振る舞い音を出す事、そしてそれ以外の行動も含めて、彼女にとっては同じ事のバリエーションの一つ一つだったのだろう。そして彼女を日本の芸能界というところに当てはめてしまうとするならば、エポック・メイキングな存在であるはずなのに、Zardの人が亡くなった時に比べて信じられないぐらいの扱いの小ささに、孤高という言葉が思い浮かぶ。



山口小夜子さんのご冥福をお祈り申し上げます。




なんやかんや言って『Aja』を聴いた。別に山口佐代子さんに哀悼の意を込めて何かを聴く必要は無いと思うけれど、ジャケットを見るためにCDを見ていたら結局耳にした。決して面白いとは思わないのだけど、聴いててイヤになるほどでもなく、年齢を重ねるごとに、オレの音に求めるものの軸が変わってきたのかと考える。けど暑いのでめんどくさくなり思考停止。というかSteely Danって来日公演中だとか・・・。偶然というモノはホントに存在してしまう。