ユリイカ 2007年7月臨時増刊号 総特集*大友良英

ユリイカの『ユリイカ 2007年7月臨時増刊号 総特集*大友良英』特集。オレはユリイカという本(雑誌)を今回初めて手にした。この本のロゴや語感の古臭さのせいで、数年前まで現在も発刊されている事も知らなかった。だけど今回は大友良英が特集されるという事で、この本の思想の様なものはわからないけれど、執筆人もよく見る名前だし、あまりユリイカという事を気にせずに購入した。

大友自身がブログに書いているように、これまで大友良英というミュージシャンを大々的に扱った紙媒体は殆ど無かった。それがここに来て、一冊丸ごと大友良英。対談や執筆者達による大友像などを読むと大友良英というミュージシャンの色んなことがわかるけれど、Jim O'Rourkeやカヒミ・カリィ、菊池某といった大友の対談の相手の個性もわかるし、杉本拓の現在の心境、そして『音の城 / 音の海』の件についての詳細等も載っていて、充実した内容だと思う。

だけど一つだけ気に入らない記事がある。それは最後の方にある大友良英ディスコグラフィー(大友関連のCDは膨大な為抜粋されたもの).

ここではその選者のCDなどへの感想などがつづられているのだけど、疑問に思うものがある。紙媒体に印刷された物というのは、オレがこのブログにダメとかツマラナイとか凄いとか、そういった個人の感想をさらしているのとは意味が違う。オレの書いた感想を見ても誰もオレの書いた事に納得するわけもなく、気にも留めない。それはここがネットという場である事と、オレが只の一音楽ファンでしかないという事がそういう結果しか生み出さない。ところが、マイナーではあってもメジャーな本で書かれたものは、多くを知らない状態でこれを見てしまえば、それをそのまま受け取ってしまう人が多く出る可能性が高い。じゃあ何が気に入らないかというと、それはこの項を書いている野々村禎彦という人が、FenneszやChristian Marclayを直接的な表現ではないにしても、良い印象を抱かせないような書き方をしていてるところ。さらに『音の城 / 音の海』の説明に至っては、この本に大友自身が『音の城 / 音の海』について語ったものが掲載されている為、迂闊な事を結果的に書いてしまっている。こういう場で感想、或いは批評という言い方をしてもいいけど、そういう事を行うときはもう少し慎重な姿勢が必要なはずで、野々村という人はその部分の配慮に欠けている。まあ、FenneszやMarclayについては、この本を読むような連中ならその音を知っているという仮定で書いていて、例えこの本でいい印象を書いていなくてもそれぞれが音を聴いて判断すればいいという考えなのかもしれないけれど、こういう本は、大友良英やそれとつながるような音を多くは聴いていないいけれど、大友の音に興味を持ち出したような「これから」な人達が目を通す事も多いはず。そういう人達はこういうディスコグラフィーには何度も目を通す事になるはずで、だからオレはこのディスコグラフィーが気に入らない。









ユリイカ 2007年7月臨時増刊号 総特集*大友良英