帰路、レコファンのコース

これも書いておくか。今週は2回、帰路レコしてしまった。火曜はVan Morrisonの『Born to Sing: No Plan B』、Ozomatliの『Ozokidz』、そしてあったらラッキーぐらいに思っていた登川誠仁 & 大城美佐子の『デュエット』を購入。して、日付は変わったけど今夜は、山下達郎の『Opus』と、Bob Dylanの『Tempest』を購入。
Dylanのは、日本盤を買って対訳を見たかったのだけど、レコファンにはなかなか日本盤が入荷せず、もういいやって、輸入盤を買った。今、それを聴きながらなのだけど、当然といえば当然だけど、アメリカーナな感触が強い、それも、Joe Henryがプロデュースしたんか?って思う様なのもあって、なんか繁華感じにタイミングを感じてしまったりしないでもないけど多分全くカンケー無い。
山下達郎のは、なんか、これ、気になって、で、初回盤がなくなる前にって、思っての購入。この辺は、ナイアガラの事と含めていいたいことあるけど、この時間帯ってのはオレは基本的にアルコール漬けなので、止めとく。
で、Ozomatliのは、なんか、もうこの人ら、ヒップホップって枠とはカンケーなくやってるんだなって感じで、なんかSFUとの共通項見たいのが見え隠れして、で、オレは結局こういう人達が好きなんだなって、思ったりしつつ。
しっかし、まあ、登川誠仁と大城美佐子って組合せで、なんかなあ。なんか、やっぱ、結局これなのかなあとか、思う。出自ってのは、どうしようもないな。ホントこれ、たまらん。誠小の重鎮なのに軽やかなのはなんか坂田明を思い出すのだけど、あーでもやっぱ、美佐子ネーネーは最強。この声は、至福。美しい。これ以上は無い。って、言い切りたいぐらい。いや、個人的な思いだから、言い切っていいか。美佐子ネーネーの唄声は至福だ。この声をトランジスタ・ラジオで幼少の頃から聴いていたのだけど、それ、オレにとっては誇らしくも思う。
で、オレはマジでオスプレイの押し付け方にどうしようもなく憤りがある。ホント、言いたいことはイヤになるぐらいある。あー、例えばオスプレイ容認の輩でも、まあそういうのはそれぞれだから仕方が無いというのはあるのだけど、あのやり方は、否定か容認かカンケー無しに、考えるべきだと思う。あれに民主主義ってのは無かった。あそこで、あの状況で、耐えながら持ちこたえようとしたあの人達の気持ちの強さ。多少言葉は汚くなっていたけど、オレがあそこにいたら、あれでは押さえ切れなかったと思う。ああいうの、ホント、耐え切れんよ。それをあの場の皆は耐えて、それでも屈辱を味わって、なんだろな、これ。
沖縄に在住しているヒデボウとか、そしてなんか奥さんと子供を沖縄に疎開させているっぽい西村茂樹とかが普天間のあの場で行動している事に、マジでなんか、あー、いやなんていうか、なんていうんかよくわからん。あそこで抗ってる皆に対しては同じぐらい敬意をもっているのだけど、悲壮感にならんようにツイートしながら行動してくれているこの2人のやり方に、オレは自分が地元じゃなくて東京にいる事に苦しくも感じる。しかもここから数時間経てば、O-EastLee Perryでニヤニヤするわけだ。あー、なんかな、なんか、国境ってなんだろな。もう、聴き飽きたあの歌だけど、あの歌の言葉は今でもそのまま使えるって、結局あの頃から知性って増えてないなあって、思う。