ミリオンダラー・カルテット

アルコールの調子が良いので、もう一つ、かます
TVのCMで『ミリオン・ダラー・カルテット』って流れるようになって、それを最初に見たとき、「へ?、ミリオンダラー・カルテット?」って、なった。それはあのセッションの名前じゃん。それを劇の名前?って思って、でもそれが正しくそれの劇化って知って、なんかイヤな気分になった。『Million Dollar Quartet』は、ロックの最初のセッションの記録。Carl PerkinsとJerry Lee LewisとJohnny Cashがなんらかのレコーディングをしているところに、たまたま帰郷していたElvis Presleyが加わったといわれるセッション(まあこの辺の話はあまりあてにならない胡散臭い話)。これを二十数年前の高校なクソガキの頃に聴いた。まあでもそういうものなので、物好きな人の為の録音物みたいなものだったし、実際、これを聴く事は他のロックンロールを聴く事とはちょい意味が違う部分はあったのだけど、なんたってロックンロールのキラ星が揃っている、特別なモノ、として、思ってて、そしてそれの30年後かなんかを記念して、既に他界していたElvisをRoy Orbisonにリプレイスした『Class of 55』なんてのもあって、これもヘラヘラしながら手にした。まあ、現在は勿論その当時もロックってのには色んなやり方が用意されたけど、それの元々はロックンロールでしかない。灰野敬二も、要するにロックンロールの産み落とした存在。パンクは当然、ヘヴィメタもあのダサいプログレも、ロックンロールがあったからある。アーマー多分、今のところは大体間違った事は書いてない。基本的に温故知新であるオレにとっては、この辺を知らずにロックがどうとか、そこからのアヴァンなのがどうとか、してるのを見ると、なんかイヤな気分になる。村八分とかさ、R&Rの誇張っていうと言い方悪いけど、まあ、感覚的にはそれ。で、どんどんシンプルになるほど音楽としてはある種の高度が出てくるので、そこの誇張でニヤニヤしてるのを見ると、なんか、好い悪いという気はないけど、そこにちゃんとロックンロール・オリジネイターに対する敬意が見当たらんと、なんか、しょうもないなって気になる。のだけど、あーでも、これはロックンロールこそ、って、なってしまったオレのエゴかもな。って、思う。ので、まあ、あまりロックンロールのことをちゃんとしてなくてもオレがぶつくさ言うのも違うなあって思うようにはなれているのだけど、しかし、やっぱロックンロールのあの頃ののは、特別すぎる。