あー、しっかし、井川遥は美しいなあと、しょうもないドラマを見つつ、思った。

ジャズを、というか、フリーなジャズを初めて知った高校なガキの頃、その音の凄さに圧倒されて、CDを再生してそれが終わるまで、もう、ガッツリ、そこにはまり込んだ。勿論、アルコール舐めつつとかタバコ吹かしつつじゃない状態で、その音を聴くというだけの行為をする事が出来た。それはDolphyだったりColtraneだった。そこから始まって、それ毎に、それを聴くことに余裕が出来たと思う。蓄積されるから、日々、余裕が出来る。今なんて、CDの購入枚数も全く違うのだから、1枚のCDに接する態度も異なる。ジャズ、フリージャズ、アヴァン、インプロ、まあ何でもいいのだけど、決め事を外した部分を多かれ少なかれ持つそれらの音とロックは違う。ロックは覚える。覚えてしまう。けど、覚えられないそれらは、繰り返しても刺激があったけど、けど、いつの間にかCDであっても1度聴いただけのインパクトに頼るようになった。繰り返さなくてもいい。まあ、繰り返すものもあるけど、けど、基本、覚えないぐらいでしか聴かない。というか、聴けない。そういうやり方の中でのインパクトは、一回性の強さがある。それは、繰り返すと弱まりそうな、そんな気分もあったりする。或いは、繰り返すにはキツイという気分になってしまうものも、ある。ので、ジャズ、フリージャズ、アヴァン、インプロ、とかは、歳とる毎に、手に入れたものの再生回数が減る。そのせいで、また、知らないモノが欲しくなる。で、購入枚数が増える。そういう、財政的に厳しい状況を作ってしまう。
で、。そういう聴き方になってしまって、しまったので、色々手を出したけど、ホントに完璧に、ヤラレタってなってしまった、の、が、ある。Joe Morris / Agusti Fernandezの『Ambrosia』、です。Fernandezは、Baileyとの『Barcelona』と『A Silent Dance』で名前を覚えたピアニスト。個人的には『Barcelona』は、Baileyの独奏集以外で最も美しい音のアルバムだと思っている。けど、そのFernandezとMorrisのデュオって、なんか、ちょっと違うような気がしていたのだけど、違ってたのはオレの考えだった。のです。Fernandezがこんなに音を羅列するピアノを弾くという事を知らなかった。それにアコギで絡むMorris。これが、もう、本当に参った。はぁぁぁって、なる。某漫画の言い方を使えば、Baileyは至高のギタリストだけど、Morrisは究極のギタリスト、だと思う。ホント、思う。思いながら聴いてると、Fernandezも、また、ヤバイ音、してくる。ピアノは弦楽器でもあるけどさ、Fernandezの内部奏法は、それ、誰よりも思わせる。んー、ヤバスギル。これ聴いてる時、なんか知らんけど立ち上がってしまう。立って、狭い部屋をウロウロしてしまう。で、アルコール流し込みつつ、タバコ吹かしつつ、でもやっぱり座ってみ、するとなんか足をずっと意味無くガクガクさせてしまう。して、また、立ちたくなる。
あー、もうダメだ。ハッキリ言う。個人的に、唯一、Derek Baileyと並ぶのはJoe Morris。『Ambrosia』で確定した。