北欧幻想

都内在住じゃずじゃーとして、今夜のスーパーデラックスと明晩のクラシックスは1年の締めくくりという意味含み。しかもそれ、Sidsel Endresen。ホントーに待っていた人の1人。単純に待望していた。ECMでの作品もいいけど、Jazzlandの『Merriwinkle』とSofaの『One』。この近作2枚に惚れている。そして丁度3年程前、Havard Wiikとのデュオで来日したHåkon Kornstad。その時は面白さは感じつつも、サックス奏者としての強烈は感じず。が、それはオレの耳の甘っちょろさに問題があるらしい。それは仕方が無い事だけど、この3年間で多少は鍛えられたはずのこの耳で、もう1度その音を聴く機会。
1stは各々の独奏。まずはEndresen。来たか。この時が来たか、と、思った。勝手に巨漢をイメージしていたのに、実は小柄。そんなことにも1人で驚きつつ。
何かを模倣するようで、ノイズの様にも聴こえる独特の唱法。それと、北欧というイメージの持つ歌の土着。それが入り混じる。あくまでも繊細。オルタナでありながら、音楽的という言葉から想像できる範疇から逸脱していくわけでもない。これはただの歌。何か、違うものとしての存在感とか、器楽的というのとは違う響きがある。レコードを思う。あの音色。針が飛んだかのような繰り返し。針飛び唱法だと思った。そこにあるリズム感はコントロールされたものだけど、突飛に聴こえる。なんかよくわからなくなってきた。ただ、美しい音楽。
続いてKornstad独奏。テナーサックス(或いはフルートネットって言うのか? フルートにリードを付けて縦笛状に扱う楽器)とリアルタイムなサンプラーを扱いながら音楽を作る。サンプラーのメインはループ。これでグルーヴを作る。そのグルーヴの上に、フリーインプロがメインの奏者が扱うような奏法を持ち込む。突き放すようなあれらの音を使う。だけど、その入り混じりは突き放さず。ホント、やってることはAxel Dornerみたいなのに、音楽は全然違う。セットの最後はサックスのみ。演奏される曲はMarion Brownのように聴こえた。
2nd。勿論デュオ。やってることは1stと変わらない。それが混ぜ合わさる。だけど、音数が多いわけではないので、やってみればどうにかなる、という単純とは違う。ちゃんとさせている。だけどそこに、Kornstadがグルーヴしないループを持ち込む。こんなところをループさせるか、と、驚く。しかもそのループの上でも歌うEndresen。
昨夜の立ち尽くし3時間は朝起きた時にかなりの疲労になっていた。それがさっさと回復するわけもなくバテ気味な1日だったのに、それ、さっきまで忘れてた。