Phew

藤原紀香はもういいです。元々どうでもいいのに、いつまでもしゃしゃり出てこられて飽き飽きです。西山茉希がもっと必要。オレは(特に)スポーツにおいては日本人贔屓をしないけど、その目線で見ても、ジェロム・レ・バンナと京太郎が延長というのは妥当だったと思う。3ラウンドなんて、バンナは京太郎の右を全く見れていなかった。あれだけ右を喰らって、それでもポイントで上回っていると思っていたのか、それとも、延長を戦う体力が残ってなかったので逃げたのかハッキリとはわからないけど、あの姿は情けない。それに比べてピーター・アーツにはホントに頭が下がる。そして個人的にはダニエル・ギタに大きく期待。まあ、圧倒的な雰囲気はアリスター・オーフレイムにあったけど。この感じだとセーム・シュルトはダメな感じがあるのだけど、、、気を抜くとぶり返してくるからな。そこが危険。
折角なのでPhewを反芻。初めて聴いたのは『Our Likeness』だった。オレの世代的にも既に伝説的な名前だった。その人のアルバムが新作として、しかも輸入盤で手に入る。その現象が面白かったけど、それを聴いて、なんか違うと思った。Phewの独特の歌い方は硬い。そのバックの音も硬い。硬いと硬いでただ固い。そんなだったので、何か違う。そういう風に思った。そのくせ、めんどくさい事にPhew名義の1st『Phew』も聴いたりする。これもやっぱ固い。NovoTonoや山本精一との&名義、そしてAunt Sallyのライブ盤、更に唯一の正式リリースだった『Aunt Sally』も再発され、それらも手にした。『Phew Video』も手元にある。Big Picture、Mostと、新しいユニットも手にした。なんか、どうしてもPhewという人の音楽を聴いて、その独特をカッコいいと思えるようになりたかった。この難問をクリアーしたいという意地になったのだと思う。この中ではMostがいい感触だったけど、そこ止まり。なのでライブという場にまで向かう気になった事は無かった。だけど昨年、大友良英のライブでフィーチャーされたPhewを見て、その存在感の強さを感じた。
そしてリリースされた『Five Finger Discount』は、カバーアルバムだったけど、多分、それだから良かったのだと思う。Phewが自身への影響として公言しているのはSex Pistols。Johnny Rotten。だけど、Phewを聴けばPatti Smithを思う。詩を声に出す事から始まったPatti Smithの歌唱だけが、Phewの歌唱と同じものを感じさせる。更にそのPatti Smithは3年前にカバーアルバム『Twelve』をリリースしている。だけどそのアルバムはオレとしては感じるところが無く、その後リリースされたPatti Smithのものは手にしなくなった。
昨夜のライブの狙いは、アルバムの再現だと勝手に思っている。それ以上は感じなかった。あの面子がライブで繰り出せる音はそれなりに知っている。その面子がいつものインパクトを抑え目にPhewの歌の為に演奏していて、その姿とか、真っ直ぐに歌おうとするPhewの立ち方を目の当りにするライブ。そして昨夜のログにも書いたように、結局はPhew山本精一という関係を確認するようなライブだった。
それが良かった。あのライブによって、『Five Finger Discount』というアルバムがライブの印象に消されることは無くなった。ライブが1回性の体験の強さで自身の録音されたものの印象を弱めてしまう事が多いけれど、今回はそうならなかった。再現だったはずなのに、別のものとしての印象も残した。それは理想的。
『Five Finger Discount』の面白さは、Phewが既存を歌う事で、その独特だけで押し切れないところだと思う。器用な歌い手ではないPhewが個性だけで完結出来ないところで、曲に従うという事があったはず。その折衷がバランスになって出来上がったアルバム。そしてPhewの為に演奏した面子が、それを念頭に置いたかのようにアヴァンで静寂で、それでも柔く演奏している。実はもの凄く昭和な雰囲気すら持っているPhewの歌は、このアルバムで耳の悪いオレにも、やっと。

Phew 『Five Finger Discount』