尾崎豊

命日が近くなりだしてから、妙に名前を聞くようになっていた。「ああ、そういえばそういう人いたなあ」という感想が浮かぶ。というのは嘘で、まだ田舎に住んでいた頃に一度コンサートも見ている。

そのコンサートは『街路樹』のリリース・ツアーだったと思う。さすがに殆ど覚えてないのだけど、本編が終わってアンコールも終わり、期待せずに軽くもう1度アンコールの要求をしてから帰ろうとした時、ギター片手に再度登場して「僕が僕であるために」を歌った事だけはハッキリ覚えている。



逝去した時の事もよく覚えている。オレ自信の状況がおかしくなり始めた時期で、訃報を聞いたときは嫌な事は重なってしまうと感じたけれど自分自身の事もあって、ショックは受けながらも冷静になるしかなかった。

その後リリースされた『放熱への証』は、繰り返し聴くことも無く手放した。



最初の3枚のアルバムはアナログで聴いていた。その後はCDになったけれど、金のない頃に全部手放していて、それを買い戻すという事や、未発表だったものがリリースされたものを購入したりしていないかった。あまりにも強烈に十代の頃に入り込んでいたので、録音物を聴かなくても頭の中でいくらでも再生できるという理由と、それと、現実的に彼の歌をもう一度聴きたいという気持ちがなかった。



多分10年ぐらい前の4/25。TVを見ていて、ニュースかなんかで「今日が尾崎の命日」という事をやっていて、それをジーっと見ているオレを一緒にTVを見ていた相手が見ているのに気付いて、「尾崎って知らないだろ?」と、話を振った。そのまま自分が十代のころ尾崎を聴いていた事、コンサートにも行った事、死んだ時の事とか話した。そいつは尾崎の事はよく知らなかったのだけど、「ジャズとかドラムン・ベースがどうのこうの言ってる人がそういうの聴いてたって、なんかホッとする」と言って、「尾崎はよくわからないけれど、こういう人って天才なんだろうと思う」と、意外な事を言った。オレにとっては当たり前に聴いていた尾崎を離れた立場で見て、天才という言葉に繋がるように見れる視点に驚いた。死後何年も経ってもニュースで伝えられる事や、その頃汗臭い音楽は聴いていなかったようなフリをしていたオレの根底に尾崎が根付いている事、たまたま知っている「I Love You」を綺麗な曲と思った事が交じり合っての感想だった。



そういう色々を思い出していたら、何故かこのタイミングで、というか、如何にも大手のレコード会社らしいやり方で尾崎のCDがリリースしなおされると知る。なんとなくそれを見ていると、『街路樹』がシングルを含めた形でのリリースであると知り、久しぶりに聴きたいという気持ちになってしまった。



改めて聴いて思ったというより、前々から思っていたのだけど、この人の歌は殆どがラブ・ソング。最初の2枚のアルバムに含まれる「15の夜」や「十七の地図」、「卒業」なんかのイメージが強すぎるせいで「十代の教祖」とか「メッセージ・シンガー」という言われ方をしていたけれど、それ以外は何かしらのラブ・ソングで、『街路樹』に至っては全編そういものだと思う。言い方を入れ替えればラブ・ソングもメッセージ・ソング。というか、歌というモノの殆どは何かしらのメッセージを感じる事が出来るはず。だから、メッセージ・ソングという言い方をイチイチ持ち出す必要はあまり無いんじゃないだろうか?



「LIFE」を今聴くと結構アグレッシヴなアレンジになっている。「核」のシングル・バージョンはまるでデモの様な生々しさがあって、こっちの方を好んでいた事を思い出した。「時」のサビを聴いて、「ドーナツ・ショップ」や「失くした1/2」、「ダンスホール」などの様に、80年代らしいポップなメロの良さを感じる。

Sony Music Online Japanの期間限定公開映像で初期の何曲かも聴き、「卒業」のイントロを十代の頃に作ったのかと思うと、単純に歌詞の部分だけがクローズアップされてしまう傾向に疑問が浮かぶ。



誕生』は尾崎の色々が組み込まれたアルバムだった。単純な若さだけで書かれていない視点に、この後もこの歌い手を聴き続ける事が出来ると思った。

それが突然止まったのだけど、この歌い手が今も続けていて欲しかったという気持ちがある。









尾崎豊 『街路樹』