AFTERWARDS vol.2

起。昨夜のライブのおかげで体調少戻。喉少痛も、仕事はまあまあこなす。スーパーデラックス。20:00着。人多。驚。驚。驚。なんとか座。



『AFTERWARDS』という名目のセッション。1stが大城真 / 庄司広光、2ndがアスナ / 畠山地平、3rdは鈴木昭男 / Jim O'Rourkeという組合せ。

勿論お目当てはO'Rourke。鈴木さんはかすかに名前を知っている程度。渋谷タワレコ5Fの一角な人。他は全く知らん。



1st及び2ndはドローン的なサウンド・スケープ。色々ガチャガチャ触ったりしている1stがプリミティヴで、ラップトップを使った2ndはフォークトロニカ的な印象。1つの音がどれだけ続けばドローンと呼んでいいのかよくわからないけれど、まあとにかく、そういう音がライブの場で1セットを通じて発せられる事に面白く思う。ドローンは知覚と陶酔の音楽だと思う。但し、すぐにこの音楽を聴くという行為を受け入れられるとは思えない。それを音楽を聴くという行為にあてはめるのに、ある程度の修練はあると思う。ここまでを受け入れられるようになるには、それまでに色んな音楽を通ってきているはずで、とすれば、ここに集まっている人達は皆、かなり色んな音楽に接してきた人達。だったらいいのだけど、多分違う。そうであれば、よりわかりやすい火曜のBLANCはあんなに寂しい状況にはならない。この集客がなんなのか、答えはあるのだけど、そこに思う事多々。

3rdはいよいよ鈴木昭男とJim O'Rourkeのセット。空間支配的な音が無い、緊張感の強いられる、弱音的なセッションになった。鈴木さんは自身発案の楽器というか、音を発する道具を扱う。ガラスを発泡スチロールで擦ったり、巨大な糸電話の様なものを使ったり、大き目のドロップの缶の様なもの、トイ楽器の様なもの。そして少し、見た目に面白なパフォーマンス。なるほど、本人がイヤだとしても、これはサウンド・アートという言葉がよく似合う。鈴木さんがこの手のアプローチの古株だとして、だけどコンビニ袋で即興する人や、それこそ火曜のSDLXの椅子で音を発する人などを知っている立場では、非楽器で音を発したからといってそこに特別は思わない。O'Rourkeは大きな螺旋状の針金の様なもの、四角いドラの様なもの、足元にいくつかの叩き様の小物、そしてハーモニカ。全てが鈴木さんの演奏のための演出だったように思う。




チラシでは集客力のありそうなイベントに見えなかった。音楽にしか興味の無いオレなんからしたら、鈴木昭男 / Jim O'Rourkeのセットへの興味。と、オマケでこれからの若手のお披露目程度。それがかなりの集客。それへ驚き、答えも大体。

音楽好きの立場で言えば、最も目を引くのは間違いなくO'Rourkeで、それならばその名で集客したと思えそうだけどそうじゃない。そうなら、昨年のちかもらち+恐山の寂しい集客は考えられない。どう考えても、音楽ファン的に見ればあっちの方が集客すると思える。だけどそうではないという事は、このイベントの企画による集客という結論。客の多くは、先鋭的な音楽全般に対する興味のある層ではなかったんじゃないだろうか? もっと違うところ、多分、アートに興味のある層(及び関係者)。これが横のつながりで集客したのだと思う。「○○さんから連絡が来て、で、○○ちゃんとさっき来たのー」とか「どうもお久しぶりですー」と言うような会話が彼方此方。

その事は批判じゃなくて、どちらかと言えば賞賛。こういうイベントを赤字にせず続けていけるとしたら有意義。



ノイズというか雑音は特別な音。ではない。どちらかと言えばありふれた音。PC無しでは考えにくくなった最近を思えば、それだけで多々の雑音を聴く事になる。それに比べれば、伝統的に生き残ってきた楽器の持つ音色は、あえて聴かなければ耳にする事ができないもの。とすれば、どちらの音が特別なのか。

じゃあ、雑音を使った音楽を聴く意味は何かと言えば、多分意味は無い。実は意識せずに聴いているものを、あえて意識的に聴く事で何かしらの意味を探そうというめんどくさい行為かもしれない。



お金を受け取って行うイベントで重要なのは、それに見合ったものを提供したかどうかだと思う。アートだからどうのこうのという独りよがりも有だとは思うけれど、継続するにはエンターテインメントが必要。今回のイベントの客が先鋭的な音楽を知らない層であればあるほど重要。

ホントはこのイベント見た人達の本音が見たいけれど、どれだけがこうやって感想を晒すのかわからないし、そこに本音があるのかどうかもわからない。何故そこがそんなに気になるのかと言えば、あきらかに楽しんではいないなという事が周りで垣間見えたからで、確率的に言えば、大半はそうだったんじゃないかと考えてしまう。

じゃあオレは楽しんだか?と言えば、楽しいという言葉はあてはめにくい。なんとか座ることは出来たけれど、この手の音に慣れていない人達が多い環境というのは、こっちの集中力まで阻害してくれる。それとこの手のライブはいくらか見るライブの中の一つ、体験という意味で扱っているので、音楽として面白いかどうかは二の次になる。だからもし、自分が月に2回程度しかライブに行かないとすれば、今回のイベントには行かない。残念ながら、月に2回程度のライブ鑑賞の場の1回にこのイベントを選べるようなアート人間ではない。

このイベントを心から楽しめた人達は、これから、他にも色々と足を向けたくなるライブは多いはず。お楽しみですね。