高瀬アキ / 大澤香織

1台のピアノを2人で弾くという行為は、そういう手法がある事は知っていたけれど、それを高瀬アキさんが大澤香織さんというピアニストとやるというライブが今夜のピットイン。この間日本に戻ってきてベルリンに帰ってまたやってきた高瀬さん。なかなか精力的。



「Criss Cross」「Let's Call This」「Jackie-ing」「Well, You Needn't」「Bemsha Swing」「Evidence」「In Walked Bud」「Coming on the Hudson」「Teo」「San Francisco Holiday」「Let's Cool One」「Little Rootie Tootie」「Pannonica」「Rhythm-A-Ning」等々が演奏された。Thelonious Monkの曲。「こんな曲あったっけ?」な曲もあるのだけど、そういう曲もMonkらしさがちゃんとある。それを、高瀬さんと大澤さんが1台のピアノで、4本の腕で奏でる。ピアノだけの演奏でMonkの曲となれば、やはりMonkのソロ演奏が頭にあるのだけど、4本の腕が音を奏でる事は、あの、Monk的な間を持った演奏とは当然異なる。

音数の多いピアノからMonkの曲が出てくる事を目の当りにする。演奏の持つ現代性と、モダン・ジャズの創世記から受け継がれてきたMonkの曲の同居。ぶっちゃけ、ビ・バップ以降のジャズの曲というのは、端的に言ってテーマを作るだけだと思える。そこにイントロをつけようが、何小節テーマを演奏しようが、どれだけアドリブしようが、そういう事は演奏者の個性として自由に扱うことが出来る。現在の複雑に構成されたジャズの楽曲より、実はあの時代の方が自由な演奏があったと言えるんじゃないだろうか? って、そういう事は演奏を聴いていた時に思ったのではなくて、今、これを書きながら考えた。今夜の演奏を、Monkの曲がこの間のBrassticksでのライブでも多々聴けた事と重ね合わせて、この古いはずのいくつもの曲が、現在奏でられる事が後ろ向きではないという事をなんとなくアッピールしたい気分になった。

昨年見た高瀬さんのライブでもあったように、ピンポン球を弦の上で跳ねさせたり、弦を直接ハープのように弾いたり、クリップのようなものを使ったり、小さなシンバルのようなものを弦に押し当てたりと、いくつもの技法を使い、演奏者が自分の持ち味をしっかりと曲の中に持ち込む。2人がお互いの腕を超えて鍵盤に触れたり、座っている位置を入れ替わったり、演奏の為の動きも色々伴う。

そういう演奏を見て聴いて、Monkの残した音の隙間、演奏の隙間が、今でもその有効性は変わらず、そこからインスパイアされるものが多々ある事に、生き続ける音が確実にある状況を知る事になる。




全く違う話だけど、6月に見たThe Jack and Jim Showのドラム、Jimmy Carl Blackが11/1に亡くなった。あのライブは、Eugene Chadbourneを目当てに見に行ったライブだったけれど、Carl Blackのとぼけた個性は印象に残っている。ライブの時、Chadbourneの赤いギターを見てBo Diddleyを思い出したことは書いたけれど、そのDiddleyとCarl Blackが永眠した事は単なる偶然だけど、なんとなく気になってしまう結果になってしまった。



R.I.P. Jimmy Carl Black