酒井俊

Susannaの歌を聴いていた時、ふと、酒井俊のライブが見たくなった。それはオレが知っている曲を何曲も歌ってくれるライブである事と、その中の何曲かの歌とMCが日本語である事によって、音楽というよりも歌という表現に触れたいという欲求が高まった結果。

タイミングよく、クラシックスでライブ。しかもドラムに芳垣安洋でベースが船戸博史。もう1人、ピアノの田中信正という、オレは全然知らない人が加わった編成。これまでに見た酒井さんのライブはいずれも内橋和久との組み合わせで、それがあるから足を向けていたという気持ちがあった事は否定できない。だけどその結果、内橋がいようがいまいが、酒井さんの歌が聴きたくなった。



1stは英語の歌のみ。多分アメリカン・スタンダードな楽曲。耳になじんでいるものや、聴いた事は無いかもしれないけれど、聴いた事があるかもしれないような曲が並ぶ。歌+ピアノ・トリオという編成だから、もしかしたらしっとりジャジーな演奏なのかもという事も考えていたのだけど、そういう場面はありながらもそういう演奏ではなかった。最初は雰囲気を作るそぶりの芳垣は、やはり強い音を入れ込んでくるし、船戸は響きの良い音、特にアルコの音が良くて、聴き惚れる。そして初めて聴く田中は、椅子を低くセッティングし、鍵盤を指が舐めるように音を紡ぐ。Glenn Gouldが頭に浮かぶ。Gouldは唸りながら(歌いながら?)ピアノを弾いてたりしたけど、田中はテンポが上がると床を踏み鳴らす。ぶっちゃけ、クラシックスであれだけ思い切り床を踏み鳴らされると結構うるさいのだけど、もうこれは癖だろうから直らないはず。その部分だけじゃなく、実際の音も危険度が高く、かなり面白いピアニスト。

1stの中盤の演奏、曲名は全く知らないけれど、船戸のベース・ソロのイントロから始まった演奏が印象深い。芳垣のドラムも壊れたようなタイミングで音を入れ込み、田中も激しさよりも考えて音を入れ込んでいるようで、圧力は落としながらもアグレッシヴ度は高い。その上でも歌いきる酒井さんのリズム感が文句無し。

2ndはかんぴょうの歌から始まる(「すかんぽの咲く頃 / かんぴょう」?)。続けて「黒の舟唄」、そして「El Derecho de Vivir en Paz」。「El Derecho de Vivir en Paz」は、何故かオレの琴線に激しく触れる歌で、これが目の前で歌われるだけで少し胸が熱い。さらに「Alabama Song」、そしてオレの知らないJanis Joplinの曲と続き、今夜の最も印象的な「Amaging Grace」。これも船戸の抽象的なイントロに導かれ、どこでタイミングを取って歌いだしているのかわからないタイミングで酒井さんの歌が絡む。演奏が歌と同じ方向を見ているとは思えない中、そこに加わる芳垣も酒井さんの味方には付かない。それでも「Amaging Grace」が歌われ続け、田中がスピリチュアルな音を伴って入り込む。歌と演奏がバラバラに一体化し、酒井さんが歌詞を終わらせる頃には芳垣がシンバルで音を撒き散らし、田中の音は暴れ、船戸の音がかろうじて低音を感じさせる。恍惚。するとふと全ての音が消え、演奏が終わったかと思ったら一拍置いて無伴奏で酒井さんの歌が滑り込む。この瞬間の事は言葉にしにくい。

本編最後は「Hallelujah」。じっくり歌い上げた酒井さんがステージを去り、バンドが演奏を続ける演出。カッコいい。

アンコールは「満月の夕」。今更言う事無し。




酒井さんは一応ジャズ・シンガーという事になるのだろうけれど、雰囲気選考のタイプとは全く違う。彼女の歌には色んなポピュラー音楽が混じりこんでいて、あえてジャズをつける必要を感じない。だけどジャズという音楽の便利なところ、オリジナルの曲を歌うという事より、歌いたい曲を選んで歌う事に対する自由度のイメージが、ジャズという言葉を使う理由なのかもしれない。それは昨夜のMultikalutiもそうだけど、曲の持つモチベーションを活かすという事。良い曲、或いは歌いたい(演奏したい)曲であれば、オリジナルであろうが無かろうが、そういう事はどうでもいい事。



ただの一音楽好きの立場でしかないけれど、しかもこのところ同じ様なこと書いているけど、今夜も客が少ない、少なすぎる。十数人程度。あの歌と演奏が、今夜はわずかな数にしか届いていない。1度ライブでその歌声を耳にすれば、惹き込まれるはずの歌声なのに。