Ftarri Festival 東京

昨日は爽やかな天候。その昼下がり、六本木へ。向かう先は当然スーパーデラックス。こういう時間帯にそういう街に向かうのは苦手だけど、それでも先週の新宿に比べれば喧騒を避けるルートがあるので問題ない。

『Ftarri Festival 東京』、フェスティバル形式のライブには批判的な態度を書いた。けれど今回は色々見てみたいものがあったので意を決した。だけど先週日曜のGrooversから土曜まで、耳にするものは歌ものや実験的な要素の低いものばかりにしていた。そうする事によって、昨夜聴けた音楽への欲求を高めておいた。なんせ休憩を含め7時間もあるのだから、体がそれを欲する状態を作っておく必要があった。

色んな組み合わせが出てくる。簡単にそれぞれの感想。

1stセット、はじめの演奏は人数というユニット。初めて聞く名前。何が演奏されたかと言えば、典型的な弱音系音響派なもの。映像を伴ったものだけど、どこかの街角の定点カメラなようなもので、「これって勝手に撮ったもの?」と考える。

続いてオペラ南十字星。杉本拓、中村としまる、宇波拓といったその界隈では著名な人達に飯田克明という人が詩の朗読で参加。人の声が入るだけで、こういう音楽もかなり聴きやすくなる。

1st最後はNoid。音はするけど姿は無しと思っていたら、コンタクトマイクのようなもので入り口から壁を擦りながら音を出していた。パフォーマンスとしては印象に残る。

2ndはSachiko MとMartin Brandlmayrのデュオから。弱音によるインプロセッション。Brandlmayrは小物含みのドラム・セットを弱音のアプローチで演奏。

次はVOIMA。これも初めて聞く名前。弱音だけど時々メランコリックなアプローチがあり、Burkhard Stangl / Dieb13の『eh』を思い出させる。

Axel DornerとNicholas Bussmann、大蔵雅彦によるセッションは弱音と消音の繰り返し。

3rdの最初は吉田アミハウリング・ヴォイスというものを初めて生で聴く機会になった。

Hugues Vincentと八木美知依のセッション。ここまで一般的には非音楽的なものばかりだったけれど、ここで音楽的には厳しくても、音として、音楽的なものがやっと聴ける。Vincentのチェロにやられる。実は先週木曜のマンダラ2でのライブにも行ってみたかったのだけど、昨夜に備えて我慢していた。やっぱ行けばよかったと思う。今年初の八木さんの音は、今までと少し変わっていたような、なんとなくエフェクトが強くかかった状態だった気がした。

今井和雄トリオ(今井和雄 / 伊東篤宏 / 鈴木學)は書かれた曲を数曲演奏。そういう枠組みであっても、音楽をいくらでも刺激的にすることが出来る事を確認。伊東のオプトロンはやはりライブで映える。

4thは大友良英、中村としまる、Ryu Hankilによるセッション。間を生かしたノイジーなセッション。弱音という感じではない。

そして最後はLos Glissandinos(Klaus Filip / Kai Fagaschinski)。弱音のドローン。



2日目も行くつもりだったけれど、昨夜のライブを見ていてその気が失せた。




2日間の通し券を予約で購入。通し券を買ったので、予約した時点でのオレは2日目も見に行くつもりだった。だけど昨日のライブを見ていて、翌日は行かないと決めた。音楽的につまらなかったという事ではなくて、ああいう場に7時間もいると残念なものを色々と見てしまう。

それが何か?について、実はガタガタと書いたものがあるのだけど、それは下書きのまま公開しない事にした。まあ、フェス(ティバル)形式というのがそれを引き出した要因だと思うのだけど、一部の出演者の態度に残念な気分を持ったという事。紳士じゃなくても真摯な態度はあるべきだと思う。

だからオレは、弱音系の一部を興味の対象から外す。恐らく音響派とか弱音系というものは近いうち淘汰される時期が来る。その時、本当にミュージシャン・シップを持ったものだけが、そういう枠組みから外れて生き残るのだと思う。それが誰なのかはオレにはわからないけれど、多分中村としまるは大丈夫で、オレが不快に思った連中は・・・、まあ、しぶとく生き残るかもしれない。元々オレのブログには殆ど名前の出ない人だけど、そいつは今後2度と名前を出す事はない。



そんなこんなで2日目はパス。本当は大友良英のソロとか、秋山徹次とユタカワサキと山内桂のセッションは見たかった。特に山内は最近『Patiruma』を手に入れ、それに今オレが嵌っているという事もあってかなり聴きたい欲求はあった。

都合が悪いわけでもないのに、既に料金を支払ってしまったものを見に行かないという行動を取れるほどオレに経済的な余裕はないけれど、それでもそれを見に行く事によって、初日同じように残念な気分が来る可能性がある以上、そこに向かう気に離れなかった。それ以外にも、昨夜の演奏でオレの耳に最も印象的だったのがHugues Vincentと八木さんのセッションと、今井和雄トリオだったという事も関係している。弱音系、或いは音響派の出すノイズというのは特別な音ではないと思う。PCとかテレビとか、そういうモノが普段からノイズを発し、無意識にそれをオレ等は聴いている。そういう音を演奏に取り入れること、或いはそれだけで演奏する事で既存の音楽や楽器に対するアンチテーゼとして存在、或いは特権を得たのだろうけれど、それを長い時間聴いているのは飽きる。そういう時、既存の楽器の放つ音が、実は普段の生活で聴く事の出来ない特別な音である事がよくわかる。



2日目の券(なんかのダンボールに番号の書いたもの)、どうしたかと言えばSDLXに置いてきた。その時、オマケでもらったCD-Rも置いてきてしまった。それはもって帰るつもりだったのだけど、忘れてしまった。まあ、仕方が無い。