Erykah Badu

Erykah Baduはネオ・ソウルのシンボリックな存在。元々は、D'Angeloこそがそれに相応しいと思えたのだけど、『VooDoo』以降アルバムは出ないし、マトモに音楽活動しているとも言えない。そんな中で、自分のペースを守りながら、数は多く無いけれどアルバムをリリースし続けるErykahの重要度は高くなる。

アフロ・アメリカンのものに積極的に手を出す事が少なくなった。色々と理由はあるけれど、あまり面白くないというのがその最大の理由。何やかんや言ったって、面白ければ手にするわけだから。だから今までならリリースされた途端に手にしていたはずのAlicia KeysやあのMary J. Bligeすら結局購入に至っていない。知名度が絶対的になるに連れて、この2人は音楽が硬直してきているように思える。まあ、聴けば聴いたでそれなりに楽しむのだろうけれど、アフロ・アメリカンという枠にあまり興味がなくなった以上、現時点で求心力を感じないものに無理する必要は無い。

Erykah Baduの『New Amerykah Part One (4th World War)』は、目にした瞬間に手に取った。国内盤を考慮すべきか?とも思ったけれど、AliciaやMary Jをシカトした事によって逆に抑えが効かず、そのままレジに。

ネオ・ソウルというジャンルの内容は、70年代のソウル音楽をベースにして、その他のアフロ・アメリカン音楽を有機的に取り入れたものだと思う。そこにはミクスチャーされる過程で出て来るはずの違和感が少なく、スムーズな音楽として成立していた。要するに洗練されていた。だからすぐにD'Angeloはスターになり、Erykahは理解された。

97年にリリースされた『Baduizm』、2000年の『Mama's Gun』、2003年の『Worldwide Underground』と、デビュー以来3年おきにアルバムはリリースされていたけれど、『New Amerykah Part One (4th World War)』は5年ぶりという事になる。それだけ間が空いても、この人のリリースには安心感がある。

聴こえてくる音は当然変化している。それは今作に限らず、次のアルバムは必ずそういうものだった。ヒップホップ系のプロデューサーやミュージシャンが参加しているからヒップホップ寄りの作品だと言ってもいい。だけど、どこに寄っていても、Erykahの軽やかな歌声は変わらない。Minnie Ripertonを継承した、唯一だとも思える。ディーバ(系)と呼ばれる歌手達の押し付けがましさに辟易しているオレにとっては、Erykahの歌声の軽やかさが変わらないところにこの人への信頼感がより強くなる。まあ、ジャケットはちょっとあれだけど・・・。









Erykah Badu 『New Amerykah Part One (4th World War)』