渡邊琢磨

渡邊琢磨の新しいアルバム『冷たい夢、明るい休息』は、combopiano名義ではなく渡邊琢磨名義。2月のライブの物販で手に入れて、それ以来繰返し聴き続けている・・・と言うほどでもないけれど、既に店頭に並んだ状態っぽいので、そろそろオレのインプレも書き時。

『冷たい夢、明るい休息』はcombopiano名義での前作にあたる『Growing Up Absurd』に引き続きロックなライン。前作に引き続きEmmett Kellyがヴォーカルで参加しているけれど、メインはライブの時と同じ様にギターの内橋和久とドラムの千住宗臣で、それにチェロの大友肇という人が加わっている。

で、この作品、非常に厄介。この作品をオレは否定しにくい。それは内橋が参加しているからでは無い。内橋が大きく関わったUAの『Breathe』でもイマイチという事を書いたので、そんな事で評価は変わらない。じゃあ何故厄介で否定しにくいかというと、『Growing Up Absurd』のインプレの時に余計な追記を書いてあるからで、そこでオレは、「ヘタだろうがなんだろうが、渡邊琢磨が歌えばよかった。」と書いてしまっている。『Growing Up Absurd』はポスト・ロックの完成形とオレは思ったのだけど、それは今更感という遠回しなイヤミでもある。少なくても琢磨が元々ポスト・ロック的なアプローチの人なら一つの到達点としては問題ないのだけど、ロックなアプローチ自体がそれまでには殆ど感じられなかったので、突然やってみて凄くうまく出来た様な感じが面白くなかった。自らの才をつぎ込んで作った結果なのだから文句をつけるのはお門違いかもしれないけれど、机上で作り上げてしまったような印象は否めない。なので、それをぶち壊す有効な手段として琢磨が歌えば絶対に完璧なモノにならないはずという勝手な憶測でそういう事を書いたのだけど、実際に『冷たい夢、明るい休息』では琢磨が何曲も歌っている。で、予想通り琢磨の声には歌い手としての魅力は無いし、歌も決して上手いとは言えない。というか、ヘタ。だけどそれこそがオレの望んだもの。この下手な歌がのってしまった事によって、そこはかとないダメダメ感がこの作品には生まれている。それがいい。時々、さりげなく歌えているのは琢磨じゃなくてEmmett Kellyが歌っている曲。その配分もいい。「Not Fade Away」を選曲するセンスもオレは好き。その「Not Fade Away」はEmmett Kellyがメインで歌っているけれど、そのコーラスの様に琢磨の下手な歌が絡むのがいい。インストの曲はライブで聴けた曲で、一つのテーマのバリエーションみたいなものがいくつも入っている。「Small Bear Once Again」とか「Last Wrong Dance」とか、結構カッコいい。

で、次は全編歌モノ且つ、全部琢磨が歌って、さらに35分ぐらいでアルバムが終わるといい。もちろん長尺の曲は無しで、全て3分に満たない楽曲。そういうモノが出来上がれば面白い。









渡邊琢磨 『冷たい夢、明るい休息』




これを書いているときに勝手に思った。『冷たい夢、明るい休息』をcombopiano名義じゃなくて渡邊琢磨の名義にしたのは、琢磨が歌った作品だからじゃないだろうか? それならば次も渡邊琢磨名義の作品をオレは望む事になる。そして、ライブで琢磨が歌う事を望む。その時のライブは『渡邊琢磨と仲間たち』という名義でやって欲しい。