大友良英

確定申告書の提出もやっと終わった。そのせいでCDのインプレを書く時間が無かったわけでは無いけれど、多少影響している。それと、CDの購入が例年より抑え目なのと、新譜じゃなくて旧譜を買ってみたりしているので、そういうものはここに書きにくい。それに、ここにインプレ書いてしまうともうそのCDは殆ど聴かなくなってしまう癖もあって、なんとなくもったいない気分もあったので、オレとしては珍しく反芻しながら聴いていたりする。最近よく聴いているのはPete Rockの『NY's Finest』とErykah Baduの『New Amerykah Part One (4th World War)』なのだけど、これのインプレを書くと聴きにくくなってしまうので、当面保留。

だけど最近の投稿の並びがいかにもあれ風なので、ちょっと変化は付けたい。でも手元のCDを見ると、やっぱりこれ系が多い。いよいよオレも耳が狭くなってきつつある。



と、ウダウダ書きながら結局大友良英の『Modulation with 2 Electric Guitars and 2 Amplifiers』のインプレ。昨年末に出た通常盤と、Ftari CD Shopか大友のライブでしか購入できない限定盤の2種類があり、結局どちらも持っている。

『Mw2EGa2A』の初演をたまたまライブで見ていたので、それを思い出しながらこのアルバムを聴く。ノイズ音楽におけるクールな視点。ノイズを発する時、それは肉体的な行為だと思う。プリセットされた音であっても、それを使うときにはなんらかの衝動があるのを感じる。大友良英もギターを抱えて演奏する時はそういう音。だけど『Mw2EGa2A』でのテーブルトップ・ギターなセッティングはそういうものから離れる事が出来るか、肉体的ではなく、陶酔より覚醒された音。大友の師でもある高柳昌行のAction Directの音と映像を思い出してみる。高柳の音に気づくのが遅かったオレは、それをライブでは体験していない。だけどフィルム・コンサートで見ることが出来た映像で、色んな仕掛けをもったAction Directの物々しい感じから放たれた音は、高圧的。それに比べればシンプルなセッティングの大友の『Mw2EGa2A』は、スピリチュアルな音。



池田亮司のライブを見た後に改めて『Mw2EGa2A』を聴く。池田の発する音もノイズではあるけれど、シーケンサーによって完全にコントロールされた音で映像を伴ったそれは、強固なパッケージング。そこにはリズミカルなものが用意されているため、発せられる音自体は特異ではあっても、音の並びとしては案外素直だったりする。

『Mw2EGa2A』のライブは、音を聴く場所によって聴こえる音が異なってしまうという、良くも悪くも偶発性をはらんだもの。2台のギターのフィードバック音が干渉したりしなかったりする事によって音楽が作られるという事は、タイプは違うけれど、Steve Reichが『Early Works』に収録された「Come Out」や「It's Gonna Rain」でやった、2台のテープ再生装置による再生速度のわずかなずれを利用した演奏を思い出す。



『Mw2EGa2A』をリリースしたダウトの宣伝文句や大友良英自身がこの作品を聴くときには出来るだけ大きな音で、スピーカーで、と、ある。だけどこの作品をかなりの音量で聴いても苦情の無さそうな住宅環境ではないオレは、休みの昼間に大きめの音量で聴くか、あるいはiPodでカナルという、作った側の意に沿わない聴き方をしている。でも別に、買ってしまえばそれをどうやって聴こうがこっちの勝手。で、そうやってiPodで聴いてもオレはこの作品は面白いし、しかも、モジュレーションする前の音である限定盤の方が、実はiPod向きだったりする。









大友良英 『2台のギターと2台のアンプによるモジュレーション』