Mani Neumeier / 内橋和久

昨夜は少し悩んでからのライブ鑑賞になった。というのも、月見ル君想ウではUnbeltipo Trioや大友良英がセットのライブがあり、アナウンスとしてもそちらの方が早かったので元々そっちを見に行くつもりでいた。だけどスーパーデラックスでMani Neumeierと内橋和久によるセッションが行われると知り、少し悩んでSDLXを選んだ。今年初の内橋和久の生音を聴く機会。こっちの方がオレには向いている。

Mani NeumeierとはGuru GuruのManiのこと。といっても、Guru GuruもManiも名前とその音楽が文章化された概要しか知らない。自分が聴きたい音と合わせて、著名でありながらも実はよく知らない人の演奏を聴く機会がこうやって時々やってくる。



内橋のギターを耳が追う。久々にこういうセッションでの内橋の音を聴いていて、この人にはアヴァンという言葉がよく似合うと思った。よく考えてみると内橋の音楽的なベースが何なのかは全然知らないけれど、それがジャズという事は考えにくいので、恐らくギタリストとしての個性を磨くにあたっては、プログレからの発展なのだろうと思う。だからなのか、ストレートな音が出てくる瞬間は少ない。それと、すぐに別の方向を向いてしまう印象がある。例えば大友良英とかJim O'Rourkeとか、彼らはセッションにおいて、落とし所として最もアグレッシヴな瞬間になった時に、それが尽きるまで音を放出させる。そこに向かって演奏している感触もある。そして客席もそれに反応し、その音と共に熱が上がる。その時の熱の放射は、聴いている側も体力を使う。肉体的な音。内橋はそれとは方向性が異なる。少しとぼけた音や、なんとなく腑に落ちないフレージングは、Marc Ribotとの親近性を感じる。そして明らかに誰もが反応しそうな音を出しても、それを持続してもその時間は決して長いモノにせず、結局はまた別の方向に向く。聴いている側ははぐらかされた様な気分になるけれど、それは多分、内橋の嫌らしさではなく、本性なんじゃないかと思った。どんなフレーズであっても、というか、熱の上がりやすい音になればなるほどにというか、そうなる時こそ内橋はそれに飽きるんじゃないかと思う。

初めて音を聴いたManiのドラムは、予想ほどのフリーな感触は無い。どちらかと言うと端正なビートだったと思うし、だからヨーロッパ・フリー的な厳しい音という感触ではない。割とロックなビートだった。力任せのドラミングという事じゃ無く、多すぎず少なすぎずという音の配置で、これという個性には気付け無かったけれど、つまらなかったわけでは無い。オレはドラムの人の個性がすぐわかる様な耳を持っていないので、初めてその音を聴いた時は、この程度の感想しか残らないのが常。