Naruyoshi Kikuchi Dub Sextet

今まではなるべく名前を菊地某とする事によって、その名前の記載を避けてきたけれど、今回は仕方が無い。菊地成孔は多弁な人だという事は広く知られていると思う。雑誌や本の類に関わらず、ネットなどでも大いに語る。音楽もやりたい事はやる。そういう人に見える。その菊池の生音は昨年の大友良英のロックなセッションの時ぐらいの記憶しかないのだけど、サックス奏者としてケチの付け所の無い人だった。だけど喋りすぎな事が気に掛かる。そして、その菊池のリーダー作というものは、今までどれも愛聴に至らず、そういった意味で個人的にはプレイヤーとしての評価は高いのだけど、ミュージシャンとしての評価は高いと言いにくい。勿論、菊地の作品を色々聴いてきたわけじゃなく、Date Course Pentagon Royal Garden東京ザヴィヌルバッハ(こっちは坪口昌恭主導)が話題になった時にそれぞれを聴いてみたぐらいでしかない。それらは試みは面白いと思ったけれど、聴いていて面白いと思うようなものでなく、そのうち聴かなくてもいいものに変わった。だけど気が付くと菊地は知名度が上がり、色んなところに登場する人になっていた。今堀恒雄Tipographicaをやっていたり、大友良英ONJQをやっていた人とは思えない、メジャーな人になっていた。そうなる事を否定してはいけないところだけど、そうなる事によってオレの興味はさらに薄れて行き、どちらかと言うと毛嫌いするようにすらなっていた。そんな状態で聴いた菊地のサックスは、やはりそういう事に拘って試すという行為から離れるのは良くないという事を考えさせ、機会があれば今の菊地の音を聴いてみようという気持ちが出てきた。そんなこんなで、昨年末店頭に並んだ『The Revolution will Not be Computerized』を手に取る。ジャケットがOrnette Colemanのパクリなところが、らしいというかなんというか。DCPRGを解散して新たに始めるユニットであるという事も、オレの菊地への興味の再スタートという意味ではタイミングもいい。

期待を持って聴いたのだけど、お金を出したからハッキリ言うけど、これはなかなかツマラナイ作品。生演奏部分は所謂ジャズの音。それはなかなかカッコいい。だけど、余計な音のイジリや挿入があり、それがネーミングのDubにあてはまるのだろうけれど、それが実にセンスが無い。これが10年前の作品なら「へえ、こういうやり方もあるのか」と思ったかもしれない。だけど現時点でこの手法はよくあるモノだと言えるし、だから目新しさは感じない。それならば熟成されたものかと言えば、なんとなく取って付けた感があり、何を思ってこういう音をくっつけたのか理解が出来ない。JazzlandのメインラインやThirsty EarのThe Blue Seriesの作品からすると中途半端だし、この間の藤原大輔の試みのように「これがこのまま継続されれば面白いことになりそう」と思わせない。なんか、「ほら、こういう事したらお前ら新しいって喜ぶだろ?」とほくそ笑んでいる様に思わせる。つまらないエフェクトや、意味の無い電子音の挿入さえなければ単純にその演奏を楽しむ事が出来たはず。









Naruyoshi Kikuchi Dub Sextet 『The Revolution will Not be Computerized』




そういえば菊地はレココレの『The Complete On the Corner Sessions』特集号で、「クズも編集すると面白くなる」というようなことを言っていた。「いい演奏は編集しないほうがいい」とも言ってたな。

なんか菊地の発言とか作品とか、某掲示板で言うところの「釣り」だと思えてきた。しかも壮絶なヤツ。