Complete Improvisation Night (豊住芳三郎 / 高橋悠治)

のだめカンタービレ』とか書いて、ブログのヒット率を上げようとしても結局効果は無かった。全く無かった。一人も『のだめカンタービレ』でこのブログには来なかった。よくよく考えてみれば『のだめカンタービレ』でブログを書くなんてきっと山の様にいる。ここに来る事なんて、敵が多すぎるの。ダメ。完敗。ひれ伏す。

といっても、実は『のだめカンタービレ』とか書いた事は本当はそれこそがあれで、単に高橋悠治の事を書いておきたかっただけ。なので別にヒット率が上がらなかった事はどうでもいい。別に強がりではない。

高橋悠治のCDのインプレを書いておきたかったのは、今日のクラシックスでのライブを見るつもりだったからで、オレのよくやる伏線。新春2回目のライブ鑑賞。しかも今回も当日のアップ。調子が良い。

高橋悠治の完全即興によるライブという触れ込みを見つけて、1年ちょっと前のAltered Statesとのライブと、クラシックスでの内橋和久&イクエ・モリとのライブを思い出す。どちらも完全即興であったはず。そして今回は豊住芳三郎とのデュオ形式。豊住芳三郎はこの間のJohn Russellとのライブを思い出す。ついでに集客も思い出す。それを思い出したので、19:30開演の予定だけど、早くても10分前に行けばいいと思った。ところが予想外に人がいる。座れたけれど、オレがクラシックスで見たライブでこんなに人が入っているのは初めて。鬼怒無月とSam Benetteのライブ(Pere-Furu)の時は6人だったからな。というかこんなに人が来るなら、なぜ完全即興のJohn Russellのライブはあんなに人がいなかったんだろう? オレにはよくわからない。

まあいい。とにかく、元々というか現在でもクラシックのピアニストである高橋悠治フリー・ジャズとフリー・インプロヴィゼイションのタイコ叩きの豊住芳三郎どういう即興を繰り広げるのかという興味は大きかった。そして1stでの演奏は、今思うとお互いの手の内を探るようなものだった。勿論、演奏としては文句のないものだったけれど、30分足らずであっさり演奏が終わってしまい、音を拾いながら聴いていたオレは、「えっ?」と思ってしまった。ジャズ的ならばこの後もう1曲演奏があるところだけど、ここで休憩。2nd。豊住芳三郎はフリーインプロ的な硬質でストイックな音と、フリージャズ的なけたたましさを持っている。その両方を使い分けながら音楽を作る。今日の演奏でオレは、この人が自分の好きなドラマーである事がわかった。芳垣安洋のせいで豊住芳三郎がなにをやってもプリミティブな感じは持てないのだけど、それも良かったりする。グルーヴィーな展開を持ち込まないところもいい。そういう演奏も出来るのかもしれないけれど、オレが見たライブではそういう事をしてない。今日のライブもそうだった。

その音に高橋悠治はやはり冷静に音を並べる。トリッキーであったり、鋭角であったりはしない。当然、ジャジーなわけはない。印象としてはヨーロッパ的なフリーインプロの音に近いけれど、あそこまで硬質な音ではない。だけど、オレは自分でも驚くほどその音に釘付け。感情に流されず、音色一発で惹き付けたりはしない。どう聴いていても考えながら音を入れ込んでいる。オレも決してリズムを追うようなことも無く、冷静に音を追う様に聴く。それしか出来なかった。トリップする事で音楽に決着をつけない。いや、もしかすると高橋悠治なりにそういう状態だったのかもしれないけれど、一応フリーな音を好んで聴いてきた立場では、そういう音には聴こえなかった。だけど、そこから目が離せず、だからといって覚醒されるような感覚に陥るでもなく、単純に、並べられていくピアノの音を追うように聴く事しか出来なかった。これはどういう事なのかよくわからないのだけど、こういう音の聴き方は初めてだった。

2nd終了後短いアンコール。立ったままで鍵盤をはじくようにピアノを弾く高橋悠治。今夜のライブは、今後のオレの音楽に対する姿勢に影響を与えそうな気がする。




ライブが終わって地下から外にでる。大体の人は渋谷駅に向かうので右側に向かう。オレは左側に向かう。すると多くの人の流れに逆流する事になった。AXでライブが終わる時間と重なったかと思ったけれど、その場合は反対側の歩道の方が人が多いはずなので、多分渋公、じゃなくてCCレモン・ホールからの人の流れ。いったい何のコンサートがあったのか知らないけれど、恐らくかなりの人数がその場所にいたのだろう。クラシックスはどんなに多くても50人程度しか入れないはず。だからなんだとは言わないけれど、そんな事を思った。

歩きながらのiPod高橋悠治の『Goldberg Variation』。可愛いお姉ちゃんとか騒がしいガキどもとか酔っ払って調子こいてるリーマンの集団とか、小洒落た店の軒先とか2度とシャッターが開かなさそうな店先なんかを見ながら、そういう渋谷の現実に全くあてはまらないこの音楽は、オーチャード・ホールでドレス・コードを気にしながら集まってきた連中よりも、今はオレの方がその音の特別さに気付いていると思った。