Panta

The Thingの二日目の帰りに聴いていたのは、Pantaの『オリーブの樹の下で』というアルバム。このアルバムではギタリストの菊池琢己という人とのユニットとして「響 〜 Panta」という名前が表記されているのだけど、めんどくさいのでPanta扱いにする。

このアルバムがリリースされたのは8月だった。普段はあまり行かないタワレコの邦楽フロアにたまたま行った時に目にして手に取ってみたけれど、国内盤はレコファンにもおいてある可能性があるので保留にし、後日レコファンにも置いてあったので購入した。

リリース情報を見ていなかったからどういうものか全然知らなかったけれど、アルバムを再生していきなり60年代末〜70年代の日本のフォークの臭いがプンプン漂っていて、すぐに聴くのを止めた。いくらなんでも古臭い。ちょっとこれは聴き続けられない。それが正直な感想だった。

だけど9月の半ば頃、とりあえず一度は聴き通さないといけないと思い、あまり期待せずに聴いていたのだけど、結局最後まで集中力を伴って聴ききることが出来た。そしてこのアルバムがどういう性格のものかリリース元のHPを見てわかり、続けてもう一度歌詞カードを眺めながらじっくりと聴いた。それが結構長く続いた。9月に一週間以上何も投稿しなかった事があったけれど、その頃にこれを繰返し聴いて思うところがあり、色々調べたりしていたので、ブログの投稿はプライオリティが低くなっていた。

『オリーブの樹の下で』は公判中の元日本赤軍重信房子が、Pantaと書簡をやりとりして書いた詞に、Pantaが曲をつけて歌ったもの。日本赤軍という言葉、今でも日本の歴史の一部で必ず聞かれるこの言葉を、オレは今までなんとなく通り過ぎていた。自分とは関係のないものとして、興味を持つ事は無かった。それがこういうタイミングで自分の知識の一つとして加わる事になった。だけどここで、日本赤軍というものについてオレがどう思うかなんて公表する気はない。一つだけいえるとしたら、思想があるからと言って、暴力は正当化されないという事の考えはオレにとっては不変だという事。

アルバムを繰返し聴いたと書いたけれど、それは少し正しくない。正確に言えば二曲を集中的に聴いた。そのうちの一曲はこのアルバムの核である「ライラのバラード」。十二分を超えるこの曲は、ライラ・ハリッドというパレスチナのテロリストの現在までのストーリーを歌ったもので、ここには史実と重ね合わせた事実が歌われている。それについての解説を読みながら、この歌を何度も聴く事になった。

パレスチナの現状について、思う事は多々ある。当然イスラエルについて思う事も多々ある。両方を考えながら掘り下げていくと、もう、どうしようもないところまで来ている事も気付く。単純にパレスチナ難民に肩入れする事も出来るけれど、すでに生活を根差してしまったイスラエルの人々、そこで生まれ育った人々の事を無視する事も出来ない。こういう状況に陥らせたイギリスやアメリカに対する言葉も頭に浮かぶけれど、それも何の解決にもつながらない。この問題が今後どういう展開を見せるのか想像出来ないけれど、少なくてもそういう現実があるということを当事者以外の国の人間も認識しておくべきなのだろう。だから「ライラのバラード」で歌われる「あれから半世紀過ぎても 世界はそ知らぬ顔してる 私の物語 だけどそれはみんなの物語」という一節はオレに自分の無知さを教えるし、「あれから半世紀過ぎても 斗いの権利は捨てない」という言葉の重さを感じる。

もう一曲繰返し聴いたのは「母への花束」という曲。この曲は重信房子の娘である重信メイが詞を書き、歌った曲。勿論、メイの歌声は素人のそれであり、おぼつかない。だけど、ここでの装飾のない歌声と言葉は胸を打つという言葉がそのまま当てはまり、簡潔な言葉で綴られた歌詞にも、だから伝わる気持ちみたいなものを感じる。











Panta 『オリーブの樹の下で』




傑作とか凄いとか、そういう言葉を使いたくなる音楽ではない。出来れば一度聴いてみて欲しいという気持ちにもならない。日本語で歌われているけれど、多くの日本人はこの歌を聴く事は無い。例え耳にする機会があっても、何も思わない人もいると思う。カラオケのために歌を聴いて覚えて、単純な気持ちの重ねあわせで共感を覚えるような歌詞の歌がはびこっている中で、音楽なんて楽しければそれでいいという人にはこういう歌は鬱陶しいものとしてしか認識出来ないと思う。それは仕方の無い事かもしれないけれど、それだけだとオレはつまらないし、音楽というものをこんなに注意深く聴く事は無かった。何かを聴いて、その中で歌われている事の意味を時間を使って調べたり考えたりするなんて久しぶりの事だけど、そういう音に出会えることも、音楽を聴くという事の意味の一つだと思う。