UA

Golden Green』がリリースされるにあたって、UAがインタビューなどで答えているのを読んで、やはり自らの意思で普通に歌うということを大きく意識したものであるということがわかり、とりあえずシングルの『黄金の緑 / Love Sceneを聴いた時の自分の感想が的外れになっていないことにホッとした。デビュー時から聴いているのに、そういう人の音の変遷すらもマトモにわかっていないとしたら自分に飽きれるところだった。その『黄金の緑』の時はアルバムも内橋和久がプロデュースと書いてしまったけれど、それはオレの得た情報の間違いで、『Golden Green』は複数の作曲者がいて、基本的に作曲者がそれぞれの楽曲をプロデュースしている(例外もある)。

シングル曲以外で印象が強いのが「トュリ」で、これはヨシダダイキチというシタール奏者の作曲。知らない名前だったけど、Alaya VijanaというUAがゲストで参加した事もあるバンドのリーダーという事がわかってなんとなく納得。タブラとシタールの音が印象的なこの曲は、奄美大島的な島唄ということで、ある種のスピリチュアルな感じが全体を覆っている。ここでUA奄美の方言で歌っていて、その発音はとても奄美の方言の発音を体得しているとはいいがたいものだけど、だからこそ生まれた楽曲という感じがあって、こういうのはかなり危ういのだけど、今回は上手く嵌っていて、それは今まで色々やってきた事の成果みたいなものだと思う。

「Panacea」も印象に残る。これは内橋の作曲で(作詞は内橋の細君で、それをいとうはるなが翻訳して英詞にしている)、ストリングスの使い方もカッコ良いし、左に芳垣安洋、右にSamm Bennettのドラムを配置というあまりポップスでは歓迎されない手法も取り入れている。ここでドラムの二人は違うフレーズを叩いているけれど、拍が異なるという感じではないので、ポリリズムという感じではない。だからお互いの音が重なる瞬間も多く、だけどすぐに離れたりして、今までありそうでなかったようなリズムが聴ける。

上記の二曲と、シングル曲である「黄金の緑」と「Love Scene」のキャッチーさがこのアルバムの核だと思うけれど、更にも一曲、鈴木正人の作曲の「Elm」が地味ながらもかなり効いている。ここでのUAの落ち着いた歌い方は、その声の魅力を伝える手段として最も適していると思えて、それを引き出したのは鈴木の才だとしか思えない。

こうやって聴くと、耳に残りやすいのは趣向が凝っている曲という事になるのだけど、それが『Golden Green』というアルバムの性格をあらわしていると思う。最近のUAのアルバムは全体が少し危うい方向を向いていて、それにUAはあまりストレートじゃない歌い方で対応していた。楽曲の出来云々より、そこが聴いている側に「何か違う」と思わせる部分だった(はず)。『Golden Green』はタイプの違う複数のプロデューサーが関わる事で楽曲としての統一感は損なっているはずなのだけど、UAが今までより肩の力を抜いた歌い方を感じさせるいるからか、タイプの違う曲が並んでいても違和感は無い。そしてさらに。UAがシンガーである事を受け入れようとしている事が大きい。ある時点からアーティスト、或いはヴォーカリストになろうとする事に躍起になり、面白いと思えるものを単純に取り入れようとしていたように見えるUAが、シンガーである事の意味を取り戻したんじゃないだろうか? ハッキリ言えばUAはヴォーカリストという呼び方が似合うタイプではないと思う。あえてヴォーカリストという呼び方をする時、それはある程度のテクニックを備えている時に使うはずなのだけど、UAはその声質から、たとえテクニックが備わったとしても表現できない部分があり、それを無理やりに取り入れようとした結果が最近のアルバムの居心地の悪さだった。だけど、Mahalia JacksonはJoao Gilbertoのように歌えないという事に気付けば、何かを歌うのではなくて、自分が歌えるものを歌うという事こそが歌う意味だという事をわかるはずで、UAは恐らくそういう事を受け入れたのだと思う。









UA 『Golden Green』