Boredoms (V∞redoms)

二年ぶりの新作『Superroots #9』は、大方の予想通りトランシー路線。ライブ録音したものをEYEが編集して仕上げたものらしい。トランシーとは言ってもクラブ側から見たトランスとは違い、音楽的には異なるけれど、Fela Kutiのアフロ・グルーヴのようなものだと言える。ヨシミの声を使っていると思われる上モノのコーラスが宗教的な感触があり、説明のつかないトリップ感を生んでいる。









Boredoms 『Superroots #9』




迂闊に「ボア」と言うと、アイドルのボアに間違えられたりする昨今。オレがBoredomsを知ったのは、メジャーデビュー作の『Pop Tatari』からという、オーソドックスなパターン。但し、それ以前にJohn Zornの『Naked City』は聴いていて、そこにフィーチャーされていたEYEには興味を持っていたけれど、当時はインターネットなんていう便利なものは無く、EYEが何者なのか知る術は無かった。そこにリリースされた『Pop Tatari』。恐らく日本の音楽で、マトモにアメリカのメジャーからリリースされる最初のアルバムでもあった(今でも音楽としての面白さで、アメリカのメジャーからリリースされた日本の作品というのは思い浮かばない)。Sonic Youthから評価された事、更にNirvanaの全米ツアーで前座としてツアーに同行するという事もあった。そしてその時、NirvanaのアンコールかなんかでKurt Cobainの要請によりBoredomsとのセッションをしたいという申し入れがあったのだけど、それをEYEは断り、他の何人かのメンバーがそのセッションに参加するという、アメリカ人から見れば「あのNirvanaの申し出を断るとは・・・」と思わせると言う、ちょっとしたエピソードも残している。その頃のBoredomsと現在のBoredomsはメンバーも異なっていて、音楽性は変貌した。勿論突然変異したわけではなく、アルバムがリリースされる毎に徐々に変わっていった。重要なメンバーだったはずの山本精一やヒラが抜けてしまっているけれど、その山本精一Rovoである種のトランシーな演奏を繰り広げている事を思えば、もし、Boredomsにとどまっていてくれたら、と、考えたりする事もある。

現在のトランシーな路線も嫌いじゃ無いのだけど、やはり個人的には『Pop Tatari』のインパクトは忘れられない。あれだけ無茶なものを、よく当時の日本とアメリカのメジャーレーベルからリリースできたものだと思う。確かにオルタナと言われるロックがアメリカでは浸透した頃だったけれど、従来のロックというフォーマットからは遥にはみ出しているBoredomsは、やはりあの頃でも異端だった(Captain BeefheartやPop Groupですら、Boredomsに比べれば普通に聴こえた)。そんな事を思いながら久しぶりに『Pop Tatari』を聴いてみると、今ならば解読可能な部分と今でも意味不明なところがあり、そのスリルはBoredomsをロックとして捕らえるならば、地球的に見てもあれ以上のものというのは他には無かったし、恐らく今後も無い。ホントに凄かったんだよ、『Pop Tatari』がメジャーで出たという事は。