Panta

オレはPantaの良いリスナーではないけれど、時々思い出したように『Kristall Nacht』を聴く。これはオレが高校に行っていたガキだった頃に発表された作品で、ラジオで「Nacht Musik」という曲を聴いて、このアルバム二手を出した。それ以降、Panta頭脳警察というバンドを率いてた事や、& Hal名義で『マラッカ』という傑作があることを知ったけれど、Pantaというミューシャンに興味を持ちながらも、なかなかCDというメディアでPantaの作品が出る事は無かった。そしてPantaが新作『Piss』を発表。他にも『Live!』というブートレグのような頭脳警察のアルバムを手に入れ、さらに頭脳警察が再始動され『7』を発表。続けるかのようにPantaのソロ時代のアルバムがCD化と、その頃はPantaの再評価も高まっていた。ところが頭脳警察は当初の予定だったのか短命で活動停止し、Panta自身もライブ活動は続けながらもオリジナル・アルバムを作らなくなる。さらに映画出演や他人への楽曲提供など、ミュージシャンというよりもタレント的ともいえる活動が目立つようになった。そういうことをなんとなく知りながら、Pantaへの興味が薄れていた頃に頭脳警察の再始動、あの幻の頭脳警察の1st『1』がCDとして正式に発表、ファンしか手を出せないようなボックスが出たりとその周辺は慌しくなっていた。だけど『Piss』以来のPantaとしてのソロはオリジナル・アルバムとしては出てこず、Pantaという(ソロ)ミュージシャンは時々思い出したようにライブをやるだけのミュージシャンになってしまったのだと思った。ところが昨年末、ひっそりと新作『Caca』がリリースされていた。最近まで気づく事の出来なかったこのアルバムの存在を知って、それがライブ盤ではないことを確認し、レジにこのCDを持っていった。後悔するかもしれないと思ったけれど、そういう風に決着をつけるのもいい。そう思って『Caca』を聴く。

『Caca』を傑作と呼ぶ事はない。さらに、Pantaを全然知らない人に聴かせるのにふさわしいとも思えない。けれど「Damascus」を聴いて、オレはこのアルバムを買った事は後悔にならないと思った。今でもPantaの言葉は生きている。パンクを気取ったつまらないジャリのバンドに対して、Pantaが存在する意味は大きいはず。









Panta 『Caca』




『Piss』や『7』はもちろん、『マラッカ』なんかも手に入れてみてオレは、結局『Kristall Nach』が最重要だと思った。自分が初めて聴いたPantaの作品であるということも大きいけれど、捨て曲どころか全ての楽曲がポテンシャルが高く、時々引っ張り出して聴いても色あせる気配が無い。『Kristall Nach』で歌われているのはユダヤ人虐殺などの暗い歴史についてだけれど、それは表面上の姿という事も言えて、その歌に歌われている事は日本の忌まわしき歴史に対する憤りのようなものについての事でもある。日本が他国に残した負の遺産を、ストレートに言葉に乗せることの色々が、頭脳警察時代の経験から難しいと悟っていたPantaは、そういう手法をとる事で自らの気持ちを吐き出している。だけどへヴィーなテーマを持ったそれらの楽曲は、残酷なぐらいに美しいと思える世界を描き出していて、その言葉の一つ一つがガキなオレには衝撃的だった。

オレにとってのPantaを知るきっかけでもある「Nacht Musik」には「真夜中のジェノサイド うなされて目を覚ませば 君のヘブライの置手紙 そこにはただダマスカスとだけ」という一説がある。ここで出てきたダマスカスがタイトルになった「Damascus」を今聴いて、あれから20年程時間は経過したけれど、それでもまだ『Kristall Nach』が有効なアルバムである事に色々思うところがある。



あー、でもホントはこの投稿は昨日で、今日は同じタイトルでカテゴリーがLiveになるはずだった。だけどこの時期、これから一年お国様に納める金額を算出する為に、どうしても時間が作れず・・・。