高柳昌行 と 新世紀音楽研究所

高柳昌行の時は連投が多い。『銀巴里セッション』は、最初期の高柳の録音が入ったアルバム。モノがモノなので手を出しにくいものだけれど、聴いてみる気になったときには店頭に見当たらず。そんなに気をかけていたわけじゃ無いけれど、手に入らないとなると変に欲しくなったりしてヤキモキしていた。それが昨年十一月に再発され、しかもSACDとのハイブリッドという一見ありがたそうだけど、SACDプレイヤーを持たないオレにはあんまり意味の無い仕様。

録音は1963年、アメリカではフリー・ジャズが浸透していたと思われる時期。日本での先鋭的なミュージシャンが集まった『銀巴里セッション』では、あまり外れたような音は見当たらないけれど、当時の基準で言えばフリーという言葉が当てはまるものだったのかもしれない。四種類のユニットの演奏が一曲ずつ収められていて、高柳は一曲目の「Green Sleeves」に登場。シングル・トーンを駆使したソロを延々と取るさまは、クール且つイマジネイティブで、時折出てくるコード音は一瞬緊張を緩める効果がある。二曲目の「Nardis」は、プーさんこと菊池雅章のピアノ・トリオ。この頃から既に菊池はプーさんだった事がわかる唸り声が聴こえるのがおかしい、、、じゃなくて、プーさんのピアノの音使いは、当時としてはかなり先鋭的だったんじゃないかと思えるもので、この演奏も予想外にカッコいい。三曲目の「If I Were a Bell」は日野晧正のオープンな音が、前の二曲の重さから開放するようでなかなかいい。続くギターの中牟礼貞則は高柳とは対照的に流麗なソロで、若干テクニックを駆使しすぎている感じもあるけれど、こういう如何にもジャズ・ギターというのも悪くない。最後の「Obstruction」は山下洋輔のピアノが聴ける。山下のトレードマークとも言えるドシャメシャな音が既に顔をのぞかせていて、あの音が一朝一夕で出来上がったものじゃ無い事を確認。









高柳昌行 と 新世紀音楽研究所 『銀巴里セッション』




「If I Were a Bell」を除く三曲でリズム隊を努めるのが富樫雅彦と金井英人。叩きすぎない富樫と、太い音を悠々と聴かせる金井のベースは、このアルバムを単なるドキュメンタリーに終わらせない事に大きく関与している。



このアルバムも元々は私家録音らしいけれど、音は悪くない。それより何より、この時期の日本のジャズというものを全然聴いていなかったけれど、思っていたよりも面白い。各ユニットのリーダー格と思えるような連中がその後の日本のジャズを引っ張っていく事を思えば、結構奇跡的な録音でもある。

日本のジャズを時系列で振り返る時、『銀巴里セッション』は今後永久に必須のものだと思う。