Myra Melford

あまり思い出す事も無かったMyra Melford。ところがMMの2006ベストのジャズ部門で新作『The Image of Your Body』が4位に入っていて、さらに「じゃずじゃ」でその盤の紹介があり、Brandon RossとCuong Vuが参加(曲によってどちらかが参加している)、さらにベースがツトム・タケイシというIntoxicateな布陣という事を知る。これは久々にチェックする必要があると思い、今年の初買いの一枚として購入してきた。

Myraといえば、ガツンガツンにピアノを弾く印象が強い。何かが憑依しているかのような感じすらして、嵌れない時は聴き通す事が出来なかったので、いつのまにか興味の対象外になっていた。ところが新作『The Image of Your Body』は今までの自分が思うようにピアノを弾きたいためのコンポジションというイメージとは違い、全ての要素を活かす事を考えたという印象に変わっている。スピリチュアルに感じる瞬間も多く、特に4曲目の「To the Roof」は、このアルバムのハイライト。この曲の持つ荘厳な響きは、David S. Wareの「Utopic」(『Wisdon of Uncertainty』に収録)に匹敵する。繊細なMyraのイントロに始まり、リズム隊が加わった後にBrandonのギターが、Myraのピアノの流れを引き受けた知性的なラインを取る。そして曲の中盤辺りからリズム隊が徐々にヒートアップし、Brandonは熱を帯びながらもシングルトーンでソロをとる事によって、リズムの激しさとのコントラストを描く。Myraは入れるべき音を選びながら置いていく感じで、前に出る事を避け、演奏全体をコントロール。CDというメディアで久々に鳥肌の立つものを聴いた。

もちろん他の収録曲もよく、例えば「The Image of Your Body」は、ジャズファンなら誰もが「参った」と言いそうなフレーズと音色を持ったタケイシのベースがリードし、Elliot Humberto Kaveeの隙間を活かしたパーカッション・ライクなリズムの上に、MyraのハーモニウムとBrandonのバンジョーがこれ以上ないと思える音を響きを聴かせる。この曲の持つ展開しそうでしないグルーヴは、7分なんて短い演奏じゃなく、出来れば30分ぐらいのロング・バージョンが欲しい。そのほかも、Brandonの渋いソロが光る「Luck Shifts」、キレキレのCuongの後を受けてMyraもキレる(元々のMyraのイメージの演奏)「Yellow are Crowds of Flowers, II」、ハーモニウムインド音楽を思い浮かばせる「Equal Grace」と「Be Bread」、Brandonがリーダーのような「If You've Not been Fed」、「Yellow are Crowds of Flowers, II」の手法をCoungをフィーチャーする形で再現した雰囲気の「Your Face Arrives in the Redbud Trees」、アルバムのコーダと言える「Made it Out」と、ツマラナイ演奏が見当たらない。



去年聴いてたら間違いなくベストに選んでいた。こういうものを聴くと、長年それなりにジャズとかその周辺のものを聴いてきてよかったと思う。もちろん、他の人がこれを聴いてどう思うか知らないけれど、わかりやすさと抽象的な部分がこういう風に交じり合っている音というのは、一つの理想的な姿だと思う。









Myra Melford 『The Image of Your Body』




昨日の山中千尋に続けてあえて女流ピアニストを連投してみたけれど、こうやって並べて聴いてみると音楽を作る方向性の違いに隔たりを感じる。現在の山中の音楽は、演奏するという事しか見ていない感じだけど、Myraの演奏は音楽の為の演奏になっている。だけどMyraも初期の演奏は、自分のエゴを主張する部分が大きかった。それがこういう風に変わってきたという事は、変化ではなく成長という言葉が当てはまると思う。だから年齢的に見ても(何歳か知らんけど)、山中も変わる可能性は秘めている。一番の問題は山中の取巻きだと思うけれど、今の山中のCDの、Jクラシックのコーナーにおいても違和感がまるで無いジャケットのつくりを見れば、今のままでは彼女の周辺が可能性を殺す事になると思う。



話を戻すと、Myraがここまで変わったというのは予想外で、『Alive in the House of Saints』とか『Even the Sounds Shine』とか聴いていた頃には、その力強い音に惹かれながらも、さっきも書いたように、気分が乗らない時にはかなり苦しい感じがあった。そういえば、Myraとほぼ同時期に聴きだしたMarilyn Crispellも大体似たような印象だったのだけど、数年前に何故かECMからCrispellの『Amaryllis』という作品が出ていて、ちょっとレーベルカラーに合わない感じに逆に興味を持って手にしたところ、フリーの中にリリシズムを携えた演奏に変化していて驚いた事を思い出す。やはり優れた演奏家というのは、どこかで必ずターニング・ポイントと言える瞬間が訪れるのだろう。



ちなみに、本文でドラムの事にあまり触れていないのはイマイチという事ではなく、変な印象を与えていないという事。ライブのような一回の演奏の印象だけのものとは違い、CDなどの録音物は繰返し聴かれるもので、そこで余計な演奏をしてしまえば、それが残り続ける事になる。ドラムが目立つ為の演奏じゃなくて、全体を考えたドラムを叩いた結果のものというのは、良くも悪くもなという印象になる。オレはそれが出来るタイコ叩きこそが、優れた演奏者だと思う。ドラムなんて、ライブでは否が応でも一番目立つのだから。