Karin Krog / Steve Kuhn

Karin Krogは今のノルウェー・ジャズの礎を築いた人だと思う。スタイルとしてはSidsel等に受け継がれている、ジャズ歌手でありながら歌うという事だけではなく、ヴォーカリゼーションによる楽器的なアプローチを提示した。それは、例えばSarah Vaughanの『Crazy and Mixed Up』という、誰もが認める名盤に入っている「Autumn Leaves」とは違う。「Autumn Leaves」は、スキャットという通常は歌の途中で崩しなどに使う手法を、あえて曲の中で丸ごと遣って見せるという一種の芸なのだけど、Karinのヴォーカルは、初めから楽器としてヴォーカルを用いたいというやり方。どう違うかは、聴いて判断してもらうしかないし、どちらが良いとか悪いという事ではなく、似て異なるものだという事を言っておきたいだけ。



そのKarinの最新作『Together Again』は、Steve Kuhnとの連名作。何年か前にもこの2人での作品はあったようだけど、それは未聴。KuhnのピアノとKarinの歌というシンプルなスタイルで、オーソドックスな歌を聴かせる。それだけの作品だけど、この境地に達するには一朝一夕で出来るようなものではなく、こういう歌を聴かせることが出来る人というのは、実はなかなかいない。いつの間にか、普通に歌っていてもブルージーな感触を醸しだす様になったKarinの歌と、派手な音や演奏をしなくても、透明感とリリシズム溢れる音でKarinをバックアップしてみせるKuhn。熟成という言葉が当てはまる音だと思う。









Karin Krog / Steve Kuhn 『Together Again』




この間のIn the Countryの投稿では、澤野なジャズの事がどうも否定的に見える内容だったみたいだけれど、決してそんなつもりは無い。例えばこのアルバムは、澤野なジャズが好きな人も気に入ると思う。じゃあ、オレが言いたかったのは何かと言うと、澤野工房の音というのは基本的に同じ傾向のものを選んでいて、あのレーベルの物だけ聴くというのは、どちらかといえばジャズに詳しい人に向いていると思うという事。あそこのカタログを並べて適当に聴いても、そのミュージシャンの個性というものが果たしてジャズを聴き始めた人にわかるのだろうか?、という疑問がある。ところが何故か澤野工房はジャズの入り口みたいな紹介になっていて、非常に危険なんじゃないかと、思う。澤野しか聴かないというヤツも、フリーしか聴かないというヤツも、ヒップホップだけとか、ヒットチャートだけとか、弱音系とかノイズとか・・・、そういう選択をしているのはもったいないと思うし、飽きるんじゃないだろうか? 誰かの本(多分寺島靖国)に書いてあったのだけど、元々ガツガツにフリー・ジャズを好きだった友人にひさしぶりに会うと、ジャズどころか殆ど音楽を聴いていない状態だったというような事が書いてあって、それはオレも同じ様な経験があって、その話にうなづける。少しずつでも色んな方向を向いているとそれまで気付かなかった発見があったりして、そういうほうが面白いんじゃないかと、オレは思っている。



と、今年初めの投稿から無駄話全開。でも今年は、ホントにCD買う量を半減したい。だからナップスターにでも入って、メジャーな作品はそれでチェックして済まそうかと、本気で考え中。繰返し聴くものなんて、結局一握りのものだし。