In the Country

一時期、急にジャズ(ピアノ・トリオ)を聴いていると言い出すヤツが周りに増えたことがあった(といっても2人ほどだけど)。いったいそこで何が起きているのかと思ったら、澤野関係の音が何かで注目されて、それの影響でそういう事が起きていた。だけど澤野の音というのは簡単に言えばお茶請けにチョコレートを置いてココアを飲んでいるようなもので、確かにジャズなのだけど、それに必要な毒というものが無い。だからそこからBill Evanceに辿ったりしてもそこにあるインタープレイを感じることが出来ていないようで、彼らは結局澤野ジャズから抜け出せない(いうまでも無いけど、彼らの最大のアイドルは山中千尋)。そいつらはオレが長年ジャズを聴いているという事を知り、「なんかお薦めは?」と聴いてきたので、Bill Evansすらもマトモに聴けていない事を考えて、「寺島靖国って人が薦めるものはどれでも当りだと思うよ」と、嫌味を言ったにもかかわらず、「やっぱ寺島さんか あの人の薦めるものはいいよね」と言われて、今のは嫌味だという気力も失せた事を思い出す。

とりあえず毒を吐いてみたけれど、じゃあ、オレはどういうピアノ・トリオを好んでいるかといえば、数年前ならE.S.TかBad Plusと答えていた。特にE.S.Tはコンサートも見たし、CDも常に質の高いものを聴かせてくれていたけれど、2回目に見たコンサートの印象が悪く、それ以降あまりこのユニットを聴かなくなった。Bad Plusに至っては、『Give』辺りでいきなり音楽的に飽きてしまって、派手で面白いけれど、このバンドも少し毒が足りない。という事で、現代のピアノ・トリオに特に注目するユニットは無い、と言うとそこで終わりになるのだけど、いいタイミングでオレの嗜好にあったユニットが出てきた。昨年、Rune Grammofonの日本盤が一気に発売された時に、一応耳にしていながらも他のRune勢の音の前にちょっと印象に残っていなかったIn the Country。2ndにあたる『Losing Stones, Collecting Bones』が最近出たので、この機会に改めて聴いてみた。

In the Countryはトリオという事だから当然3人組なのだけど、その3人とも20代という若いユニット。作曲とピアノと担当するMorten Qvenildがリーダーのユニットで、QvenildはJagga Jazzist(!!)の旧メンバーで、現在はあのSusanna and Magical Orchestraのメンバー。そのQvenildはの書く曲はリリカルでわかりやすく、ピアノもどちらかといえばおとなしい類だと言える。だけどベースのRoger ArntzenとドラムのPål Hauskenのリズム隊の音は現代的と言えるもので、そういう意味ではE.S.Tと近い感触。でも、明らかにジャズの下地が強いE.S.Tに比べて、エレクトロニカ等を当たり前に吸収していると思えるこのユニットは、音に対するアプローチが異なって聴こえる。ジャズならではの聴かせどころであるアドリブ・プレイを前面に押し出すのではなく、それをそれと気付かせないように流れて行ったりする。だから、一聴しただけだと澤野なジャズが好きな連中でもわりと受け入れられるかもしれないけれど、そういうジャズでは聴く事の出来ないリズム隊の音や、甘めに思えても実はそうではないピアノの音は、旧来のピアノ・トリオの感覚とは異なったものだと思う。

とは言いながら、1stにあたる前作『This was the Pace of My Heartbeats』を聴いた時はあまり印象に残らなかったのに、『Losing Stones, Collecting Bones』を気に入った理由は、このアルバムで使っている反則ワザにある。それは、4曲目の「Ashes to Ashes」と、アルバムの最後にあたる11曲目の「Don't Walk Another Mile」でヴォーカルが入っている事で、4曲目でのヴォーカルはゲストのStefan Sundströmというスウェーデンシンガー・ソングライター。ちょっととぼけた感じすらあるこの人の歌は、所謂ジャズ・ヴォーカルとは全く異なる。それが曲の真ん中に定位し、さらに終盤ではIn the Countryのメンバーがこれまたとぼけた感じでコーラスを重ねる。とても北欧のユニットとは思えない。そしてもう1人重要なゲスト・プレイヤー、ギターのMarc Ribotが7曲目の「Torch-Fishing」と9曲目の「Can I Come Home Now」で、「さすが!!!!」というギターを聴かせる。ここでは書く機会が無いけれど、Ribotはオレの大好きなギタリストの1人で、久しぶりに新しい音が聴けた事がかなり嬉しい。









In the Country 『Losing Stones, Collecting Bones




オレが好きな現代のピアノ・トリオであえて名前を出さなかったMatthew Shippと藤井郷子。それは、この2人が八面六臂なユニットでの活動があることと、ピアノに対するアプローチが本文で出てきたミュージシャン達とは異なるからで、この2人のパーカッシヴな音はCecil Taylorや、Dollar Brandからの系譜だと思う。そうなると音楽的な方向もフリーなものになるし、澤野なジャズが好きな人達にとっては、まるで関係の無い音と思われるだろう。だけど、本当に言ったのかどうかわからないけれど、Dollar Brandが「ピアノは本来ドラムの代わり」と言った言葉も頷けるようなアプローチのピアノが、オレの最も好きなスタイル。Shippのライブは未だに聴けていないけれど、郷子ねーさんのアプローチはあの吉田達也と叩き合う『藤吉』や『Erans』で思いっきり楽しむ事が出来る。



ここまででわかると思うけれど、オレは基本的に澤野なジャズが苦手。全面的に否定するつもりは無いけれど、ああいうものは、それこそシリアスな音の合間に少し聴くと効力があると思うけれど、ひたすらあの手の音に浸れる心境がわからない。ただ、ほぼ澤野な感触のVenusというレーベルがあるのだけど、ここはジャケットがエロくていい。買わないけれど。



実質的に今日の投稿は、澤野なジャズが好きだった知り合い2人に向けてのもの。でもの2人はここを見ているわけではないので、あまり意味は無い。結局彼らはその後あまりジャズを聴くことも無く、時折思い出したようにその手の音を聴いたりする状態らしい。まあ、その程度でおさめておけば、あまり金もかからなくていいよなあ、と、自戒も含めて思うこの年末。来年は、CDを買う量とライブに行く回数を半減したい。なんか、マトモに年が越せないし・・・。