Roger Turner / 内橋和久 / 天鼓 / 巻上公一

先月のAltered Statesのライブ時に配られていたチラシの中に、「Roger Turner&内橋和久」というものを見つけて、内橋となんだかよく知らないドラムの人のセッションがあることを知る。内橋がドラムとフリーをやるのなら当然興味がわいて、ネットでRoger Turnerという人を調べてみると、Derek Baileyとの共演歴があり、CDになっている。BaileyのCDはほぼ持っている状態なので、そのCDが何かを調べ、『Duos, London 2001』である事がわかり、そのアルバムでのTurnerの演奏までは覚えていないけれど、結構好きなアルバムだったので、期待して昨夜のスーパーデラックスに行った。



で、昨夜はその2人にゲストとして天鼓と巻上公一がラインアップされていて、久々に巻上の歌が聴ける事も楽しみだし、天鼓という、日本のアヴァン系では年中名前を耳にするヴォーカル・パフォーマーを、初めて見るという事も楽しみの一つだった。

まずはTurnerと内橋のデュオ。Turnerがどんな音を出すのか興味津々。で、端折って言えば、Turnerはいかにもヨーロッパ・フリーなドラムを叩く。CDでは散々耳にしているヨーロッパ・フリーな音、そのままという感じ。ガツガツくるけれど、音の色気は感じない。内橋はそれに呼応するように、アグレッシヴな面が表に出て、エレクトリックな飛ばしも多用。

続いては内橋と巻上。巻上はヴォイスだけではなくテルミンも使う。やはりこの人は面白い。歌うという事がこれだけ自由に感じる事が出来るのは、今のところ巻上の歌だけ。内橋は巻上に呼応したり、外したりするけれど、巻上もそれに付いていったりはぐらかしたりで、フリーな場面において、ヴォイスでここまで内橋のギターやエレクトリックに引けを取らないとは。流石。

続いては、天鼓と内橋の組み合わせ。結構期待度の高い天鼓のパフォーマンス。だけど、この人は自ら引っ張るという事をあまりやらない。内橋の音についていくけれど、それ以上の展開が見られなかった。ある程度のクオリティは感るけれど、もしこれが内橋じゃなく、まったく共演歴のない人とのセッションなら、聴いているのが辛いかもしれない。

休憩をはさんでの2ndでは、天鼓とTurnerの組合せから。それと聞いた瞬間、個人的に辛いセットになると思ったけれど、やはり結果はそうだった。Turnerは1stで自分の演奏後は天鼓や巻上の演奏を聴いてその後に備えていたけれど、それぐらいでは天鼓をどう引っ張っていけばいいか、なかなか難しいように思う。オレは天鼓のオカルトチックな声の出し方が全然肌に合わなくて、そのせいで印象が悪いという事もあるとは思うけれど。

続いて巻上とTurner。前のセッションとは一転して自由度の高い、明るく面白い即興。硬い音のTurnerと、柔軟な巻上の相性は良く、この組合せが昨夜一番気に入った。

そして最後は、Turnerと内橋のデュオで始まり、それに天鼓と巻上が加わってのセッション。さすがにこれだけ揃うと、グルーヴも生まれるし、拾いたくなる音も多くなる。一端の静寂から、がっと音を出す瞬間を、Turner、内橋、巻上は心得ていて、即興なのにタイミングがピタリとあう。ここにおいては、苦手な天鼓の声も、要素の一つとして聴く事が出来た。

一応本編は終了し、アンコールに応えて再度4人でのセッション。ここで天鼓は地声に近い声でパフォーマンスしていて、それはなかなかよかった。なんであの声をメインで使わないのか?、ちょっともったいない気がする。




帰りのバスで、『Duos, London 2001』に入っているTurnerがBaileyと共演した曲を聴いた。これは、事前じゃなく、Turnerと内橋の組合せを聴いてから聴こうと思っていた。そうする事によってオレは何故Baileyの音が好きなのか、内橋のどの音が好きなのか、少しわかるような気がしたからで、結果、特にこれというようなところまで至らなかったけれど、Baileyと内橋のスタンスの違いは見えてきた。簡単に言えば、Baileyはギターしか使わないし、エフェクトの類やノイズというものを多用しない。それに比べて内橋は、エフェクトは勿論、エレクトリックな機材やダクソフォンなど、いくらかの武装をしている。それは、内橋がなかなかギターのみで一つの演奏を終わらせる事が少ないという事につながっていて、あくまでもギタリストとという立場から演奏を行うBaileyと、自分の使えるものをつぎ込んで、それによって演奏を作り上げる内橋とではアプローチそのものが違ってくる。そしてオレは多分、だからBaileyが好きなのだと思う。貫いて見せたというのは、やはりBaileyをおいて他には思い浮かばない。その1点だけでも、Baileyは尊敬に値するのだけど、でもやっぱり音そのものがオレにとって最も綺麗な音だと感じる音。内橋のやり方は、それが彼の個性で、その個性を聴きたいから内橋のライブをなるべく見たいわけだけど、ただ、もし内橋がギターのみにこだわった演奏にシフトする時期があれば、それを見てみたいという気持ちがある。



一応天鼓のフォローをしてみると、元来オレは、ヴォイス・パフォーマンスが好きじゃない。だからライブでその手のものを見る事はまず無い。だけど、例えばMike Pattonのパフォーマンスは好きだし、ライブは未見だけど、ヤマツカEYEのパフォーマンスも好き。そして、巻上は、今のところオレにとっては最も好きなヴォイスパフォーマー。巻上に関しては、歌手という言い方でもいいと思えるぐらい。で、その3人に共通しているのは、パフォーマンスにユーモアと言えるようなものがあると言う事。これが天鼓には感じられず、灰野敬二のパフォーマンスもそうで、確立した個性はわかるけれど、それが肌に合わないと拒否反応を引き起こす。だけど、天鼓の地声に近いと思われる部分でのパフォーマンスは嫌いじゃなくて、あれを軸にパフォーマンスしてくれればと思う。