Derek Bailey

David Sylvianの『Blemish』というアルバムは、少なくてもオレが聴いたことのあるロックのアルバムの中で、トップ10に入る(勿論現時点での話だけど)。ずっと聴きつづける事を決めているLou ReedIggy Pop、夭折してしまった為、音だけの評価がしにくいNirvanaJoe Strummerという思い入れがあるミュージシャン達に比べると、そうではないミュージシャンの音は自分の中でのポジションが変りやすいけれど、『Blemish』は初めて耳にして以来、その印象は変らない。

ロック(ポップ)・フィールドではない音をトラックの中に取り込み、つぶやくようなSylvianの歌がのる。歌うという事をコード上の出来事にせず、音そのものへの対応として声を発する。この手法、ロックでは殆どありえなかったし、あったとしても、ここまでの完成度には至らないと思う。それは、SylvianがJapanの頃から培ってきた異端の性質が影響していると思えるかで、だから彼がErstwhileの様なレーベルに着目している事も納得できるし、『Blemish』にFenneszDerek Baileyの音を取り込んだことにつながると思う。



『Blemish』に使われたBaileyの音は、Sylvianの「僕にヴォーカリストとしてのチャレンジを与えてほしい」という要請を受けて録音されたらしい。その為に約1時間ほどのBaileyの録音が行われ、その一部が『Blemish』に使用されている。そして今回、その時のBaileyの録音をまとめた『To Play』がSylvianのレーベルから発売された。

その『To Play』、Baileyの数ある作品のなかでも珍しくジャケットに本人の写真が使われている。デジパック仕様の内ジャケには、Baileyの笑顔の写真もある。そういう珍しい衣装を着た『To Play』は、最終的に歌のバックトラックになるという事をBaileyが意識の中に持ちながら演奏したという事を感じ取れる。それは、オレの聴いたことのあるBaileyの音の中で最も優しい演奏に聴こえるからで、ノン・イディオマティック・インプロヴィゼイションというスタイルからは結果的に外れてしまう事になるのかもしれないけれど、そこでの技法を持ち込みながらインプロしたというのは、晩年のBaileyの音楽的な挑戦だったんじゃないだろうか。Sylvianの思いを受け止めながらそれに挑戦したのは、前年に『Ballad』という、Baileyの全録音の中でも極めて珍しいハッキリとした曲というモチーフに基づいた録音があったからじゃないかと思う。









Derek Bailey 『To Play』




という事で、『To Play』はBaileyファンは当然だけど、ノン・イディオマティック・インプロヴィゼイションを知らない人たちにも聴いて欲しい。このアルバムは間違いなくBaileyの音で最も聴きやすいものの一つだし、録音状態の良さや、トータル43分程度という長さも初めてBaileyを聴くアイテムとして向いていると思う。