Faiz Ali Faiz

自分の周りの連中より意識的に音楽を聴くようになって、そうしているとはじめは流行り歌しか聴いていなかったのに、いつの間にかあまり聴いた事の無いものなんかを聴いてみるようになる。そして自分の好きなジャンルみたいなものがわかってきて、それを掘り下げたり、そこに影響を与えたりしたものも聴いてみたいと思うようになる。そういうときに、例えばソウルのシンボル的な存在としてOtis Redding辺りを聴いてみたりして、初めはよくわかっていなくてもだんだん耳に馴染むようになり、「歌が上手い」と、プロの歌手ならあたり前の事を合えて強調されて言われる人達の凄さが少しわかったような気になる。だけどオペラなんかを聴いてみても、「凄いのかもしれない」と思う事はあっても、なんとなく歌が上手いという事とは違うような気がして、あえてそういうものまで聴いてみる必要な無いと決め付ける。そうしているうちに、歌よりも楽器を含めた演奏の方に反応するようになり、歌が上手いとかそういう事はあんまり関係ないと思うようになっていった。そんな時名前を耳にしたのがNusrat Fateh Ali Khanで、カッワーリーとかいうパキスタン民族音楽の歌い手が凄いという事をなんとなく知る。だけど、それまでにアフリカのポピュラー歌手や、ブルガリアン・ポリフォニーの様な民族音楽的なものもいくらか聴いていたので、アメリカン・ポピュラーミュージックの範疇とは違う歌に反応は出来るようになっていたけれど、そういうものの「凄み」はわからなかった。だから、そんなに積極的に非アメリカンな音楽を聴かなくてもいいような気持ちは持ちつつも、知識を増やす対象ぐらいの気持ちで『Paris Concert Vol.1』というアルバムを聴いてみた。

カッワーリーと言う音楽を初めて聴いたけれど、なんとなくイメージの中にある中東の音楽から大きく外れたものではなかった。だけど、Nusratの歌には圧倒された。声、パワーともに圧倒的だった。大げさな言い方だけど、オレが今まで聴いてきた音で、歌の力でここまで圧倒されたのはNusratが最初で、多分今後この衝撃を超える事は無い。ウードとシタールだけが人体以外の楽器として存在し、それ以外は複数人の手拍子とコーラスがNusratのバッキングを務める。



そのNusratは1997年に他界。その後Rick RubinのAmerican RecordingsからNusratのアルバムと共にその甥のRahat(ややこしい事に、Rahat Nusrat Fateh Ali Khanという名前)のアルバムが発売され、RahatがNusratの後継者であるという事を知る(生前にNusratが望んだ事らしい)。

ところが最近、Nusratの後継者としてFaiz Ali Faizという人が注目されだしたらしい。全然素性を知らないけれど、注目という事なので久しぶりにカッワーリーのアルバムを買ってみた。

アルバムタイトルの『L'amour de Toi Me Fait Danser』を訳すると、『わが師ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン』というタイトルという事で、Nusratに捧げたアルバムになる(と書いてあった)。音楽的には伝統的なカッワーリーのスタイルを踏襲しているとの事だけど、歌い方までかなりヌスラットを意識しているらしく、それに対する批判もあるらしい。だけど、そんなことを言われても門外漢のオレにはよくわからないので、何も考えずにアルバムを聴いてみた。

Nusratに匹敵するかどうかはおいといて、久しぶりにパワフルな歌を聴いたと思った。同じフレーズを繰り返して、それを少しずつ変化させるカッワーリーという音楽はかなりミニマルなものだけど、それが肉感的になることで、ここまで力強い歌になるというのは、かなりの力量によってもたらすものだろう。Nusratの後継者とかそういう事はよくわからないけれど、少なくてもFaizの歌は、聴いたものを引き込む魅力を十二分に持っている。









Faiz Ali Faiz 『L'amour de Toi Me Fait Danser』




生前のNusratをライブで見ていなくて、これも結構後悔している。だけど当時はまだまだ紙による情報しかないような状態だったから、誰かが来日してても帰った後に気付くという事がよくあった。今はネットである程度の情報があるけれど、今度は情報過多で、なかなか情報を網羅できない。自分の興味のありそうなものをマメにピックしていく事も結構大変。

でも、Faizのように来日に合わせた形でCDが出回ったりすると、逃すことなくライブに接する事が出来る。ライブは来月だけど、この迫力溢れる歌を生で聴ける事が今から楽しみ。