Mono Fontana / Fernando Kabusacki / Alejandro Franov / Santiago Vazquez / 山本精一 / 勝井祐二

ここ数年、ヒップホップとR&B辺りの音楽は一部を除いてあまり聴かなくなっている。興味が薄れるのは経済的に助かるのだけど、その辺の音は割と流行ものも意識していたので、それ以外の音楽では、殆ど流行りものがわからなくなっている事もあり、世の中の流行の音楽というものが全然わからなくなっている事に気づいた。それでなにか、流行りモノを聴こうと思ったのだけど、ロックの流行はさすがに苦しい。ジャズの流行もよくわからない状態。困ったと思っていたら、ふと思い出したアルゼンチン音響派。先月来日もしていたし、2月に買ったコンピ以来に何か手を出してみる事にした。

どうしようかと考えて、多分オレにむいているはずの『Buenos Aires Session #Vol.2 IZUMI』を購入。山本精一勝井祐二はおいといて、肝心のアルゼンチン人はFernando Kabusackiの名前ぐらいしか聞いたことが無い。でも、それに問題は無い。

『IZUMI』を聴いて、ここに参加しているアルゼンチンの演奏家達と、今まで聴いてきた色んな国の演奏者達の違いを考える。いや、考えようとしたけれど、そういう事を考えてもよくわからないと思い、というかめんどくさいので止めた。これはオレがフリーな音楽に求める自由度を持ちながら、緊張ではなく、もっと心地の良い音が溢れた演奏。かなり嵌り気味。









MF / FK / AF/ SV/ YS / KY 『Buenos Aires Session #Vol.2 IZUMI』




一応少しだけ他のインプロと比べてみると、やはり使っている音(楽器)の違いが印象的。インドの音楽なんかに感じられる、西洋とは違う音が溢れていて、それがアルゼンチン音響派の個性なのかも知れない。彼らに比べれば、日本の2人が出していると思われる音は、良くも悪くも欧米化していて、そこのコントラストの面白さもある。



オレはアルゼンチン音響派という言葉は、やはりちょっと解せない部分がある。大友良英のBlogに、アルゼンチン音響派という言葉についての彼なりの考えが書いてある投稿があり、さらにその投稿からFMNのBlogや、トラバでアルゼンチン音響派という言葉についての考察があるのだけど、オレも大友と同じ(考えじゃなくて違和感の部分)ように、わかるけれどやはり違うんじゃないかという気持ちを消す事は出来なかった。アルゼンチン音響派という言葉を用いなくても十分魅力的な演奏である事は間違いないし、あえて音響という言葉を使う事によって、誤解を生みかねないという事を思った。