Helmet

再結成第1弾にあたる前作『Sixe Matters』を聴いて、1度潰したものをもう1度やるというのは難しい事なんだと思った。90年代に「知性的なヘヴィメタル」として名を馳せていた頃の音かに比べると、普通のハードロックとしか思えない音になっていた。

Helmetの魅力は、ダサくなる寸前のリフだと思う。一歩間違えると定型のヘヴィメタとも違わないものになりそうなそれは、ギリギリだったからこそのカッコよさがあった。リフの魅力に魅せられたという意味では、奇しくも、Frictionと近いものもあった。

そのHelmetの復帰第2作『Monochrome』。前作『Sixe Matters』と大差は無く、同一線上の仕上がり。悪くはないのだけど、繰り返し聴く気持ちにもならない。じゃあ、90年代の『Meantime』や『Betty』と言った、彼らの名を広く知らしめたアルバムと何が違うのかと思い、久々に昔の音を聴いてみた。聴き直して気づいたのは、曲そのものに大きな変化は無い。現在のHelmetも、あの頃と同じ様な曲作りだと言える。じゃあ何が違うのか、と言えば、ギリギリの危うさが今のHelmetの音には無い事だと思う。ヘヴィメタの側からも気に入られそうだった90年代のHelmetの音は、メタリックな感触を随所に残していて、このメタリックな感触で、ヘヴィメタ的な速いだけのソロや曲をやらずに、スレスレの感触を聴かせていたけれど、今のHelmetはハードロックと書いてしまったように、音の感触が一方に定まっている。わずかな違いなのだけど、その違いこそが個性であり、その個性を感じさせない現在のHelmetの音を繰り返し聴く事は難しい。だけど、小品とえいる「Howl」や終曲「Goodbye」の最後の混沌としたインプロを聴くと、まだまだ可能性が残っているバンドだと思う。









Helmet 『Monochrome』




ジダン頭突き事件は、FIFAの裁定によって一応の決着を見た様な雰囲気になっているけれど、釈然としない。フランス、イタリアの両国が各々の国の選手を庇うのはわかるけれど、フランスサッカー協会会長の、「挑発者が罰せられた」という言葉、おかしいだろ? 問題のシーン、マテラッツィにユニフォームを掴まれたジダンが「そんなにユニフォームが欲しいのなら、試合後にやる」と言った事は明らかになったはずで、ユニフォームを掴むという行為は反則ではあっても、挑発ではない。ならば、このシーンにおいて挑発を行ったのは、ジダンの言葉なわけで、マテラッツィは売り言葉に買い言葉状態で、暴言を吐いた。ジダンは余計なことを言わなければ余計な事も言われなかった。ユニフォームを掴むという事は反則で、見つかれば罰せられる行為。それを行ったマテラッツィもダメだけど、それは最近よく使われる言葉になってしまった「サッカーでは当たり前」に起きている事だ。その行為はプロどころかアマチュアでさえやっている事で、当のジダンだって掴んだり引っ張ったりという事はやっている。そういう事を考えれば、あの一連のシーンで、一番異様なのはジダンの頭突きで、それを必要以上に擁護してしまうのは、愚かな事に思える。

それと、ジダンが退場したからフランスは負けたという事を平気で言う奴らがいて、それはおかしいと言える。そんな事を言い出せば、あの試合のマルダの取ったPKはシミュレーションだったわけで、あれが無ければフランスは0点。そうすると1対0で、90分でイタリアが勝っていた事になる。それならばジダンも頭突きせずに済んだ事になったかもしれない。ユニフォームを引っ張るのもいけないけれど、自分で倒れておいて倒されたフリするのもどうかと思う。あのシミュレーションの結果、ジダンは頭突きしたという因果関係も考えれば、事の発端はマルダのシミュレーションだから、一番悪いのはマルダって事。

なんだ、ジダンは同じチームの選手によって、ああいう恥ずべき行為に及んだって事か。



って、まあ、別にオレも本気でPKの1点が無ければイタリアが1対0で勝ったと思っている訳ではない。ただ、仮定の話というのはいくらでも作る事が出来て、そういう事をあまり本気で話すのはいただけないという事が言いたいだけ。結果は結果で受け止め、それを糧にするのが次のステップにつながるはずで、いつまでもタラレバの話を続けるのはどうよ?って思うという事が言いたいだけ。

フランスは今回の事が悔しいのならば、2年後の欧州選手権(古い言い方だな・・・)で借りを返せばいいわけで、そうやって競いながら強くなっていくもの。もちろんフランスに限らず、他の国も勝つ為の努力をする。それを見てオレらは一喜一憂する。それがスポーツの楽しみ方なんじゃないかなあ。