Rudi Mahal

オレの知る限りRudi Mahalは、バスクラしか使っていない。バスクラのみしか演奏しないプロのミュージシャンというのは、このRudiぐらいしかいないんじゃないかと思う。

Rudiの名前を知ったのは高瀬アキの『BCJO』というアルバムで、それ以前から高瀬アキ絡みのグループに参加していて、それ以降も高瀬アキ絡みの録音にはRudiの名前をよく見る。だけどその高瀬アキの音を全然追っていないせいで、Rudiの音も殆ど知らなくて、それ以外のもの、出来ればRudiがリーダーの録音を探した事もあったのだけど、全然見つける事が出来ずにいた。それがやっと、『Solo』というタイトル通りのバスクラでのソロ演奏集を発表して、それを手に入れる事が出来たので興味津々で聴いてみた。

このアルバムを聴いてその音色がバスクラというよりも、テナーやバリトンのサックスの音に近いと思った。いや、近いというか、バスクラじゃなくてサックスを吹いているのかと思った。だからCDのクレジットでバスクラ以外も吹いているんじゃないかと確認したのだけど、どうもバスクラだけしか吹いていないようで、だからサックスだと思ったその音色はバスクラのものだという事になる。それは大分前の投稿で梅津和時の『』の時に書いたと思うのだけど、バスクラという楽器がDolphyという優れた演奏者の印象が強いせいで、Dolphyの様な演奏こそがバスクラという楽器の特性だと思っていたからなのだと思う。Rudiも当然Dolphyを知っているはずだし、そもそもバスクラを吹いているというのは、普通に考えればDolphyの影響下から始めたという風に思える。それなのにRudiの音にDolphyよりもサックス的な音を感じるというのは、バスクラのみを演奏してきた彼の到達点、或は通過点、もしかすると意図的にDolphy的なものから外れた演奏をしているのかもしれない、と、色々考える事が出来る。それを解決するには、もっとRudiの演奏を聴くしかないのだろう。









Rudi Mahal 『Solo』




と、一聴した感じではDolphy的なものをあまり感じなかったのだけど、改めてちゃんと聴くと、しっかりとDolphyに通ずる音はあった。というか結構ある。サックス的な音色が印象に強かったせいで聴き逃していた部分があったという事です。反省。

RduiはDolphyの遺産を引き受けながらも、当然のように自己のスタイルの確立をしていたという事だよなあ。『Solo』はその総決算的なものと捉えてもいいのかもしれない。

とにかく聴き直してよかった。