Nik Bartsch's Ronin

ミュージックマガジンの「じゃずじゃ」というコラムが好きで、それを読む為にMMを買いつづけているといっても過言ではない。その「じゃずじゃ」を参考にしてCDを購入する事が多々ある。最新号の「じゃずじゃ」で紹介されいたのが、Nik Bartsch's Roninの『Stoa』。Nik Bartschというミュージシャンは全然知らないけれど、レーベルがECMなのである程度の質は保証されている。

「じゃずじゃ」や国内盤を購入した為にそのライナーに書いてある事と重複するけれど、この『Stoa』は、ジャズでありながらジャズの感覚で聴く必要は無い。アドリブらしきものはあるにはあるけれど、それはもしかしたら譜面に書かれているものかもしれないと思えるぐらいのもので、ジャズの真骨頂的なアドリブの応酬は無い。このアルバムを特徴付けているのは、ジャズ的なリズムがヨーロッパのセンスでミニマルに演奏している所だろう。Claudia Qと共通するものを感じるけれど、やはりあちらはアメリカのセンス。Nikはあくまでヨーロッパなセンスで、この辺が好き嫌いの分かれるところだろうけど、オレはこういう演奏、嫌いじゃない。というか、むしろ好き。Glenn Kotcheの『Mobile』に続いてこれを聴いたので、なんかタイミングが良いというか悪いというか微妙な感じだけど、面白い音が次々出てくるのは歓迎すべき事。

この『Stoa』を聴いていてClaudia Qともう一つ頭に浮かんだのが、Miles Davisの『Nefertiti』。それはミニマルという点ではなく、ジャズの意匠からアドリブを剥ぎ取ったというところの共通点。だからなのか、音楽自体も同じトーンで貫かれているように感じる。




『Stoa』にはクラブ音楽的なものも感じる事が出来て、ジャズとクラブ音楽の融合といえば、やはりBugge Wesseltoftが思い浮かぶ。ただ、Buggeとその周辺の音楽は、最初からクラブ音楽との融合というもの目指して作り上げたものに感じるけれど、この『Stoa』は狙ってそうなったのではなく、結果としてそうなってしまったという風に聴こえる(実際は狙ってる)。そういう風に聴こえるのは多分、Buggeらが作った音には打ち込みの形跡があるのだけど、『Stoa』にはそういう音が無いからだろう。そういう事を考えれば、一連のBuggeらの音は既に、古い型になりつつあるのかもしれない。恐らくそれはBugge自身も認識していて、だから彼の「New Conception of Jazz」というコンセプトに、既に自ら終止符を打つ発言をしている。Nikの音を聴いてこんなことを考えるのは失礼かもしれないけれど、この『Stoa』によって、一時代を築いたBuggeの次の手が気になる。