池田亮司

池田亮司の音を聴きだしたのはいつ頃からか、はっきりと覚えていない。その音を聴き出した時には既に高い評価を持った状態で、音響的なアーティストとして紹介されていたと思う。そのパルスを多用した音は全体像を掴めず、これをどう聴いていいのかわからなかった。そして、ただ漠然とその音を流していると、「これは現在の環境音楽じゃないだろうか?」と思うようになった。彼の多用するパルスやサイン波、その他の音は、現在においてエラーやアラートの音として色んな場面で出会う。その音が用意された状態は、簡単に言えばノイズと言えるようなもので、初めて聴く人には不快感を与えるかもしれない。だけどその音を、聴くという行為に意識を置かずに聴いてしまうと特に違和感を感じない。これがオレが現在の環境音楽と感じた理由で、それ以来池田亮司の音に接する事が楽に感じるようになった。ただしその音をよく聴けば、やはり特別な研磨が施されていて、その軽々しい考えもただの戯言に過ぎないことに気が付く。この磨きぬかれた一音一音は、あまりにも強烈で、揺れや迷いというものを音の中に見つけることが出来ない。

その池田亮司の3年ぶりの新作が『Dataplex』で、これのインフォメーションが出て以来、前作にあたる『op.』のように不意を付いた作品になるのか、それともそれまでの音に戻るのか、気になっていた。




そして『Dataplex』は、『op.』を無かった事にでもしたようにそれまでの池田亮司のイメージの音。ところが、曲調が今までと変わっている。ストリングスを使った『op.』でも、音を置き換えた以外にそれまでの池田亮司のスタイルと大きく異なっているとは思わなかった。ところが『Dataplex』は、その音こそ池田亮司というイメージの音だけれど、曲自体に今までに無いわかりやすさがある。これは池田亮司のデモンストレーションなのか?、それとも集大成なのだろうか?

この『Dataplex』によって、少し気が早いけれど、池田亮司の次の手が気になる。