高柳昌行

高柳昌行フリー・ジャズ的な演奏と、ノイズに至ったものはよく聴いている。それ以前の、いわゆるジャズ・ギタリストとしての演奏は全然聴いてなくて、そういうものが聴いてみたいと思ったときには、その手の音は手に入りにくい状況になっていた。それが最近『A Jazzy Profile of JOJO』がCD化され、やっとジャズ・ギタリストとしての高柳昌行の音を聴いた。

ジャズ・ギタリストとしての高柳昌行は、Lennie Tristano理論に則った演奏が身上という事らしいけど、それがどういうものを指すのか、Lennie TristanoLee Konitzを聴いてる割にその意味がわかっていないオレにとって、高柳昌行を聴く事によってそれが理解できるのかもしれないと考えながらCDを聴く。結論から言うと、行き過ぎない(熱を帯びない)ところが確かにクール派の感じがするけど、それ以外にはよくわからなかった。



演奏を聴いていると、弦の太い感じの音がPat Martinoに近いものを感じた。でも、さすがにPat Martinoほど指が動き回る感じは無い。それは技術的な面での事なのか、コンセプト的な事なのかわからないけど、必要以上に弾かないという事は意識しているように感じる。そしてこの録音には複数の金管楽器が用意されているのだけど、それらはオーケストラにおける金管楽器の合奏的な演奏をする。アルバムを通してこの感じで、絡んで演奏してる感じがなくて奇異に感じるけど、それがこのアルバムの個性なのだと思う。




高柳昌行に興味の無い状態でこれを聴いても、あまり面白く感じないかもしれない。流暢なフレージングがあるわけではないし、トコトンまで弾ききったり、過激な表現があるわけでもない。高尚なものに准える気は無いけれど、このアルバムは、そういうものとは違うところを見ている気がする。でもこの捉え方は、結局は気に入ったミュージシャンの音に対するオレの欲目なんだろうと思う。