浜田真理子 & ONJO

22日の投稿、何故ちょっと古いアルバムの事を書いてたか、勘のいい人なら気付いていたと思う。あれは昨夜のコンサートを見る事の伏線。

オレは大友良英のファンと言っていいくらい、彼の作品を聴いていると思う。だけど何故かライブは全然見ていない。『We Insist?』から始まって十年以上その音を聴き続けているのに、今年に入るまでに見た大友良英の生の演奏というのは、98年のMusic Merge Festivalでのセット間のDJプレイと、Christian Marclayのライブでの共演だけ。今年に入ってやっと、このBlogの一番初めの投稿になっているFilamentを体験し、Contortionsでの臨時Frictionでの演奏を見た。でも、Filamentは特殊な趣だったし、臨時FrictionはReckのバンド。いい加減、大友良英がメインのライブを見てみたいと常に思っていて、それも出来ればONJ?(O or E or Q)が見たかった。だけどこのバンド、アンダーグラウンドな音楽の世界ではトップクラスの人気があるため、ライブハウスでの演奏は満員札止めが多い。それならもっと人気が出て、コンサート・ホールでやるような、そんな風になって欲しいと思っていた。そして今年の6月、とうとうONJOとしてホールでのコンサートがあったのだけれど、諸事情により、当日はe.s.t.のコンサートに出かけてしまった。そのe.s.t.が個人的にイマイチだった事も手伝い、後悔するような日々が続く。それがやっと、浜田真理子との共演という形ではあるけれど、ONJOを見ることが出来る事になってちょっと感慨深いものがあった。ちょっと大げさだけど、まあとにかく、やっとONJOを見た。

勢いよく書いてみたけど、昨夜のコンサートの中心はあくまで浜田真理子。曲はカバー曲と浜田真理子の曲で、ONJOの曲は一曲も無かった。それならオレにとってはツマラナイコンサートだったという事になりそうだけど、結果的に、久しぶりに歌という表現をじっくり聴く事が出来た。



場所はBunkamuraのシアター・コクーン。オレとは相性の悪い、オーチャード・ホールと同じところにある。席はステージに向かって右側、列は中ほどだけど、結構見やすい席で視覚的には問題ない。ステージは幕が下りた状態で、予定から遅れる事約十分、客電が消えて真っ暗な状態になり、演奏が聴こえてくる。幕が上る。ステージ上にはONJOの面々。中央のピアノの席は空いたまま。プロローグのようなONJOの演奏が終わると、浜田真理子が登場する。そのままピアノの前に置かれている椅子に腰かけ、演奏が始まる。ONJOは派手な演奏はせずにサポートに徹する。音数があまり多くなく緊張感のある状態で、彼女の歌声がホールに響く。CDで聴いていた歌声は、この場において、より艶やかだったと思う。惜しいのは、日本語詩の歌ばかりという事。

そんな事を思いながらステージを見ていたら、一時間も経たないうちに1stセットが終わる。

ちょっと肩がこったので外に出てタバコを吸い(肩がこらなくても吸いに行く)、席に戻って間もなく2ndセットが始まった。1stセットではMCは無かった思うけど、2ndは浜田真理子のMCから始まる。彼女自身も緊張した1stだったらしく、「緊張が客席にうつったんじゃないでしょうか?」というような事を喋っていた。ステージにONJOがいない状態で数曲歌う。この、ソロで歌うスタイルが彼女のスタイル。今度は少しリラックスした状態で聴くことができた。浜田真理子ONJOというこの組み合わせのコンサートはツアーではなく、今回のみの企画である為、進行も趣向を凝らし、デュオという形式でベースの水谷浩章が登場する。水谷浩章は何度かライブで見た事あるけど、オレが見ているのはエレクトリックなベースだったので、今回のWベースの演奏は、ちょっと予想外だった。最近同じようなことばかり書いているけど、やはりこの人も、かなり上手いベーシスト。このデュオでの演奏、デュオといっても、浜田真理子はピアノを弾かず歌うことに専念。ベースのみをバックに歌ったわけだけど、凄く嵌っていた。昨夜の観客の多くは多分浜田真理子目当てで、ONJOの事を余り知らないと思う。だからあの水谷浩章のベースで、このバンドのポテンシャルの高さがわかったんじゃないだろうか。続けて青木タイセイメロディカで加わり、その素朴な音がホールに響き渡る。その後バンド編成に戻り、いよいよ全体的に熱を帯びてくる。その一曲目は栗原正己がエレクトリック・ベースを弾き、バンドにベーシストが二人いる状態で演奏。この時のグルーヴは栗原正己が受け持ち、水谷浩章はWベース特有の音でカッコいいラインをグイグイ入れてくる。バンマス及びギターの大友良英は、基本的に演奏を止める以外にタクトを振らない状態だったけど、一曲だけ各ソリストにアドリブの指示を出す場面があり、この時のソロ及び大友良英のタクトは、さすがONJOという瞬間だった。

本編が終わり、アンコール。大友良英は「嬉しい」みたいな事を言っていて少し可笑しかったけど、相当数ライブをこなしている大友良英も、昨夜の客層というのは外国で演奏するよりも異なる客層だったであろうから、そういう意味で緊張感もあっただろうし、自分達の演奏が受け入れて貰えるのかどうかという不安もあったのかもしれない。そのアンコールの1曲目、「Love Song」という曲、これが個人的にハイライトだった。「このまま 死んでしまいたい」と歌いだすこの歌、普段こんな歌を聴くと「勘弁してください」と思うのだけど、浜田真理子の声とONJOのしなやかな演奏は、ある種の非現実的な状態を生み出していたと思う。混沌から生まれる音だけではなく、感傷的な言葉から生み出される歌というのも、実は同じように音楽的冒険が隠されているんじゃないか、と、思った。アンコールの2曲目は手拍子が入るような曲で、各メンバーの名前を呼んで数小節ずつソロをとらせるという状態だったのだけど、Sachiko Mのサインウェイブにも手拍子があって、笑いをこらえるのが難しかった。2度目のアンコールに応えた浜田真理子は、本来の姿であるソロで締める。バンドであってもソロであっても、この声の魅力は変わらない。いつまでも、今のままで歌い続けて欲しいと思うし、きっと彼女は、このまま変わらないだろうと思う。




浜田真理子という歌手、そのオフィシャル・サイトとBlogは検索すればすぐに見つかるので、彼女の経歴を見て欲しい。一定の評価を受けているにもかかわらず、現在でも地元の島根に暮らし、そこで普段はOLをしている。音楽を続けていくという事はそれぞれのやり方があると思うけど、オレは彼女のその「やり方」に惹かれる。東京に出て、そこで注目を浴びる事が音楽を続けるという事ではない。それに気付くか気付かないかを問われている人に、彼女の「やり方」はどう映るのだろう。