Terry Riley

クラシックという音楽にはなかなか馴染めなくて、いつまで経っても手強い相手。特にジャズファンはクラシックに対して変な敵対心があるらしく、目の敵のように扱う事がある。とはいっても、やはりあれだけ影響力のある音楽を無視してしまうのも悔しいので、時々思い出したかのように、クラシックを聴いてみる。

元々クラシック全般が苦手なわけじゃなくて、例えばKronos Quartetは、オレが高校生の頃から、熱心にではないけれど結構長い事聴き続けている。Kronos Quartetの良さは、古典的なクラシックではなく、ニューミュージックと呼ばれるクラシックの作品を取り上げているところで、オレの耳に辛いクラシックのメロディーはあまり登場しない。それは、分かりやすさを引いてしまった事になるのかもしれないけど、でも、ロックやジャズが好きなオレのような連中には、そういう音の方が聴きやすいのではないかと思う。そうやっていくらか聴いてみても、なかなかKronos Quartet以外のクラシックの音に馴染めずにいた頃、当時テクノの文脈から、ミニマルといわれるニューミュージックが新たに見直されて、オレもそれに乗って、Steve Reichの『Drumming』を聴いていた。

それにもの凄くはまったりはしなかったけれど、それでもなにか、これはイケルかも知れないと思い、Steve Reichの作品にどんどん手を出していった。そのうちSteve Reichと同等に扱われるPhilip Glassの作品にも興味が出て、気が付くとこの二人の主要な作品は聴きつくしている状態。ミニマルというスタイルがオレには向いていると思い、さらにLa Monte Youngと、Terry Rileyに興味を持つ。ところが、La Monte YoungはCDがあまり発売されていないのと、その発売されていたものすら廃盤状態で手に入りにくいという状態で、なんとか『The Forever Bad Blues Band at The Kitchen』を見つけるのだけど、それ以上聴きこむ事が出来ない。それに比べるとTerry Rileyは名盤と言われる作品が手に入りやすい状態で、その『In C』と『A Rainbow in Curved Air』を手に入れて聴きこんでみた。

Terry RileyはSteve ReichPhilip Glassとは違い、クラシック的な要素が薄くて、同じミニマルと呼ばれるものでも意匠の違う音が聴こえる。それがオレにはあまり面白いものに思えなくて、Terry Rileyは、Steve ReichPhilip Glassの様にiPodに入れて持ち歩くという状態になったことが無い。それでも『Music for the Gift』を手に入れてからは、少しずつTerry Rileyの音にも興味が向くようになっている。



Terry Rileyの来日公演『Pacific Crossings 2005』に行って来た。タイミングというものはどうしようもなくて、Steve ReichPhilip Glassも来日公演を見れていないのに、ついこの間、ネットでたまたまTerry Rileyの来日を知り、その来日公演を見ることが出来た。しかもそのコンサート会場は、Frank Lloyd Wrightの明日館という絶好のロケーション。もっとも、実際の開場の講堂は、Frank Lloyd Wrightの設計ではないけれど。たとえニューミュージックとはいえ、よく考えたらこれがクラシック関係の始めてのコンサートで、ちょっとビビリながらも、池袋駅から明日館に向かう。

「池袋なんて何年ぶりだろう」と思いながら明日館に向かうが、ネットにあった地図では、その場所が全然わからない。こういう事も想定していたので、少し早めに出ていて正解だった。結局、予想以上に小さな路地を通っていくという事に気付いて、なんとか明日館に辿りつく。どう考えても建物内は禁煙だろうと思い、外の灰皿のところでとりあえず一服。中に入ると、舞台上ではなく、舞台の下にピアノが置いてあり、「音響的に下のほうがいいのだろうか?」と考えながら、まだ三分の一程度の入りだったので、見やすい席を探し開演を待つ。



定刻の19:00から程なくして、ギターのDavid Tanenbaumが登場。ソロで演奏を始める。「クラシック系のギタリストなんて全然知らないなあ」と思い、ちょっと斜に構えていた。が、この人、もの凄く上手い。そのテクニックに呆気にとられる。恐らく、今までオレが見たギタリストで、最も完璧な演奏をしていたと思う。クラシック恐るべし。2曲ほど演奏するのを固まって聴いていたら、次にTerry Rileyと入れ替わり。ソロでピアノを演奏する。これがまた、なんていうか、ピアノのこんな音聴いた事無いというような音。ジャズで散々ピアノは聴いているけど、セッティングが違うのか、ピアノってこんな音だったか、と、頭の中がグルグルする。そしてそのピアノが奏でるのは、ミニマルなフレーズ。これはもう、してやられてたとしか言いようが無かった。続けて演奏した曲はミニマルとは違うような曲だったけど、Terry Riley、歌いやがる。まあ、ニューミュージックだからそういうのもありなんだろうけど、まさか弾き語りとは。そして奏者がDavid Tanenbaumに変わり、またしてもソロでの演奏。四つのパートからなる組曲だったのだけど、これがホントに凄かった。そこから聴こえてくる音は、時折Derek Baileyの出すあの音と同じ音があって、これが作曲されているという事実に驚く。これには、言葉に出来ないような感動があった。

15分の休憩があって二部が始まる。ちょっと記憶が曖昧なのだけど、たしか二部の始めの曲は、デュオでの演奏。ここでTerry Rileyは、電子ピアノ(シンセサイザー?)を弾く。ここでの演奏はその特性を生かしたもので、持続音を効果的に使ったフレーズ、特に左手で単音で使う低音が効果的で、その音の出し入れが面白かった。

デュオも終わり、その後はそれぞれソロでの演奏を何曲かやるのだけど、文句の付け所というものが何処にも無かった。David Tanenbaumがギターで演奏する曲はかなり難しいフレーズが多く、それをほぼ完璧に弾きこなす姿に、譜面を完璧に理解するという事の凄さを思い知らされる。そしてTerry Rileyの弾くミニマル丸出しの曲は、クラシックの範疇からは全然外れていて、ホントにカッコイイ。これと同等にカッコイイ曲、オレの頭に思い浮かんだのは、藤井郷子の書く曲だった。もちろん、藤井郷子ほどアタックの強さは感じないけれど、それのタッチを変えれば、藤井郷子の曲だといわれても、オレは信じてしまいそうだった。ミニマルな曲での音の敷き詰め方は、情景が浮かぶような音の塊で、これはライブでなければ味わえない。そしてミニマルではない曲では、まるでジャズのように感じるものがあって、Terry Rileyという作曲家の音の中には、色んな要素が含まれていることが確認できる。




明日というか今日と言うか、もう一回明日館でTerry Rileyのコンサートがある。今度は日本人の演奏者三人が加わっての演奏。見に行くつもり。