八木美知依

八木美知依の演奏に一度だけライブで接した事がある。それはオレの敬愛する藤井郷子が、1stセットを八木美知依とのデュオ、2ndセットを吉田達也とのデュオという形でライブを行った時だった。一応、八木美知依の名は知っていて、CDも持っていたのだけど、箏という楽器が、はたしてライブの場でどれぐらい通用するものだろうかと、ちょっと高をくくっていた。だからオレのお目当ては2ndセットの吉田達也とのデュオの方で、正直言って、1stセットも吉田達也とのデュオの方がいいんじゃないか?って思っていた。だけどそのオレの考えは、実際にライブに接する事によって、完全に書き換えられてしまう。箏という楽器の持つ気高さと、それに自分の情熱のようなものをぶつけていく八木美知依の演奏に、オレの了見の狭さが恥ずかしくもあった。結局、2ndより1stの方が強く印象に残ってしまったのだけど、タイミングが合わずに、それ以降は八木美知依のライブを見ることが出来ないでいる。まあそれは仕方のない事だけど、その後、なかなか八木美知依のCDというものが発表されなくて、同じCDを繰り返し聴く日々が続いていた。



そして10/8、久々のアルバム『Seventeen』が発表された。これを今日手に入れてきて、今現在、3回目の再生を行っている。タイトルの『Seventeen』というのは、別に八木美知依木村カエラのように元Seventeenのモデルだったというわけではなくて、本来13本しかない箏の弦を、低域をカバーする為に17本に拡張した17弦箏をさしている。このアルバムを再生して、最初の3音め辺りまで聴いた時、オレにはまるでDerek Baileyのように聴こえた。こうなってしまえばオレの耳はむんずと掴まれた状態と同じで、あとはアルバムが終わるまでその状態のまま。もちろん、アルバムはBaileyを連想させるような音ばかりでなく、他にも色んな音がある。17弦箏だから出せるのであろう、ゴツゴツした音や、擦弦楽器のようにアルコで箏を弾いている音。プリペアド状態の音もある。収録されている曲は、どれも通常の箏という楽器が弾くイメージではない曲ばかりで、もしあえて表記しなければ、曲によっては、箏で演奏されていることに気付かない人も多いだろう。そして、回りくどいことを言わずにはっきり言えば、このアルバム、間違いなく傑作。もちろん、万人がそう思うとは思わないけど、少なくてもオレにとっては傑作と呼べる音。



余計な話をちょっと書くと、八木美知依は、ちょっと色っぽい感じの人。この手の音楽やってる人でそういう人って珍しくて、ライブの時、ちょっと見とれてしまった。Tzadikから出ているアルバムのジャケも、いかにもアラーキーらしい写真で、なんかちょっと危ない感じもする。でも、今回の『Seventeen』のジャケの方が好きかも。それでCDの帯を見ていたら、発売日にライブをやったらしく、しかも場所が渋谷だったって事で、ちょっと落ち込む。CDの発売日にやるライブの事を、そのCDの帯に書いてどうするんだ?、、、って怒っても仕方ない。で、ライナー見たら、なんとプロデュースがMark Rappaport。そうか、そうだったのか。