アンバーチ + オルーク + ロウ

昨夜のスーパーデラックスのOren Ambarchi + Jim O'Rourke + 灰野敬二も興味深かったけれど都合により行けず。だけど今夜のSDLXは灰野敬二がKeith Roweに変わった編成。Keith Roweと言ってもDavid SylvianNine Horsesに参加している人じゃなくて、David Sylvianの『Manafon』に参加しているほう。ややこしい。とにかく、1度見ておきたかった人。CDもErstwhileからリリースされているものは聴いているし。

AmbarchiもErstwhileの作品でRoweFenneszと共演しているし、昨年復刻されたFenneszRoweやPimmonやPitaと共演している『Afternoon Tea』が結構気に入っていて、なのでいいタイミング。



まずは前座でMarco Fusinato、という人。全く知らない人だったけど、神経質なギターを掻き鳴らし、ハーシュノイズなみにノイズを撒き散らしたり、起伏のある演奏。そういう音がジャズとかアヴァンとか、そういうものと違った事を言っているようで、聴きなれているものと違う感覚。Kelly Churkoと同じ様に、新しい雰囲気。



ガッツリと音を叩き込まれた後、本編のトリオ。あ、空調が止まっている。という事は・・・と思ったらその通り、音数の少ない(音が小さいも含む)演奏。静まり返る客席。しまった、ビールを飲んだ分、ゲップかましとけばよかったと思ったけど遅い。オレの勝手な想像を上回る客入りの中、余計な音は出せない。だけど音が欲しい、と、音に飢える。音が鳴る時と鳴らない時と、そういう普段は意識せずに済む事を思う。そもそも音楽を聴くという事は、音が鳴っている事を前提にしていた。だけど目の前で行われている演奏は、その視点からアンチ。小型のプロペラが回る音とか、ガキの頃そういうのを回していたけれど、案外そういう音って耳に残っているな。O'Rourkeがなんかやっているけれど、オレの耳には何も聴こえてこない。かすかに何か音が鳴っているなあ、だけど鼻水が出そうなんですが・・・。鼻をすする事も出来ないので、ちょっと上を向いてみたり・・・。



と、こんな感じ。年に数回、この手の演奏を聴く機会があるのだけど、個人的に今夜はこれまでで最もヘヴィーな鑑賞だった。

こういうライブを見たことの無い人には足を遠くさせてしまいそうな事を書いている事になるかもしれないけれど、音が1つ聴こえて来るのを貪欲に拾おうという姿勢になるのはこういうライブ。鼻水が・・・という時間帯はホントに苦しいのだけど、落ち着いている時間は色々が頭の中をグルグルしながら普段は絶対に考えない事を考えたりして、面白かったとかつまらなかったとか、単純な結論とは違う感想が残る。