Luc Ferrari avec Otomo Yoshihide

一応Luc FerrariのCDは持っているのだけど、名前を知っている程度の知識しかない。数年前に逝去の報があった時も「そうなんだ」というぐらいで、特に思う事はなかった。フランス人なのかイタリア人なのかよくわからないけれど覚え易い名前なのでインパクトは感じていた。

そのLuc Ferrari大友良英のデュオ集『Les archives sauves des eaux』は、2002年にSDLXでのライブを収録。Green Zoneのライブの物販で購入。勢い購入。



大友はヴァイナルも使ったターンテーブルを演奏。ライナーによるとこの頃の大友は既にターンテーブルにヴァイナルを載せていない奏法だったので、そのヴァイナルを再び扱う事に色々思うことがあったらしい。変化することが進化することであるという意識があってのことかもしれないけれど、1ファンの立場で言えば、持っているものはそれを効果的に使って欲しい。というか、オレのプロフィールの写真がChristian Marclayの『Record without a Cover』の復刻版の写真である事からわかるように、オレはヴァイナルを使った演奏が元々好き。なので、それが見たい。

FerrariはCD-Jと表記。こうなると、音としてどちらがどれを扱っているのかは判別しにくい。なのでそういう事を考えるのを端折って聴く。



いきなり音数の少ない、実際のライブの時なら固唾を呑んでしまう様な強面な展開。だけどその後は溝に刻まれた音を扱ったり、多分カートリッジをガタガタさせた音だったり、本来は音を出す為に存在していないところから音を出したりして、これは明らかにCD-Jなんだろうと思われるループがあったりして、初っ端のトラックに比べればわかりやすくて愛想のいい演奏(?)。

これらはLuc Ferrariによる曲というコンセプトがあるのだけど、あまりそういう事を意識して聴く必要なさそうで、まあ、即興とその辺の境目を探すのも一興かもしれないけれど、しかめっ面の雰囲気では無くて、実験的に音を遊ぶような余裕が感じられて、成熟の後の反芻を試みているようで、聴く側のフットワークが試されているようにも思える。



オマケで10分ほどのMPGが入っている。これを見ると、実際に大友がどうやってターンテーブルを扱っているのかがよくわかるし、Luc Ferrariはあまり音を出さずに、大友という演奏者を楽しんでいるように見える。







Luc Ferrari avec Otomo Yoshihide 『Les archives sauvées des eaux』